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偉人:坂本龍馬はどんな性格だった?

皆さんこんにちは。

前回は坂本龍馬の歴史とその功績について、お話しました。今回は、そんな偉業を成し遂げた彼がどんな性格で周りにどんな交友関係があったのかをお話ししたいと思います。

■温和でおおらかな人物

「坂本龍馬ってどんな人?」と聞かれれば、恐らくはほとんどの方が思い浮かべるだろう人物像です。「土佐訛りで話す、常に笑顔を浮かべたおおらかな男」というイメージだけでも、「坂本龍馬」を思い浮かべる人がいるのではないでしょうか?

そしてそのイメージは、実際の龍馬にも当てはまるものであったようです。

龍馬と関わりを持った長州藩士・三吉慎蔵(みよししんぞう)は、龍馬の人物像について、「過激な事を言うことはなく、声高に意見を口にすることもない。極めて大人しく温和な人だ」と評しています。

また、土佐勤皇党に参加し、後に明治政府の官僚となる田中光顕(たなかみつあき)からは、「豪放磊落(ごうほうらいらく・度量が大きく、細かい事を気にしない事)な性質の人物で、長州で言う高杉晋作(たかすぎしんさく)に近い」と評しています。

龍馬のこういう温和でおおらかな性質について、言葉として残っているのはこの程度ではあるのですが、龍馬が成しえた「薩長同盟の締結」「海援隊の設立」などの偉業と、それに付随する苦労などを考えると、龍馬が人に好かれる性質の人物であったことは、疑いようのない事実であるように思えます。

■新しい物好きで柔軟な性格

このようなイメージも、坂本龍馬という人物の性格を考えた際に、おそらく多くの人が思い浮かべる人物像でしょう。龍馬を題材にした漫画やアニメでは、周囲が日本刀を用いて戦う中、龍馬はピストルなどの近代的な銃火器で戦っていることも珍しくありません。

実際、史実においての龍馬も、懐には短刀ではなくピストルを忍ばせていたと記録に残っています。龍馬が用いた銃は二つあったとされ、一つは高杉晋作から贈呈されたもの。もう一つは自身で買い求めた2丁の銃で、妻のおりょうと1丁ずつを護身用に所持していたそうです。

このピストルについて龍馬は、「時代は銃だ。銃の前には刀なぞ役に立たん」と言ったらしく、彼がピストルを――ひいては外国からくる新しい物を、たいそう気に入っていたことがわかります。

また、龍馬の柔軟な性質を色濃く表すエピソードといえば、やはり勝海舟と初めて出会った時のエピソードでしょう。

龍馬と勝の出会いは後の関係性からは想像できない程に剣呑なものでした。その出会いのきっかけは、何と暗殺。尊王攘夷思想に傾倒していた頃の龍馬が、勝を暗殺しに行ったことがきっかけでした。

しかし勝はそんな龍馬に、開国の必要性を滔々と説いて説得。それに感銘を受けた龍馬は、尊王攘夷思想から開国思想に転向したというエピソードです。

ともすれば、龍馬が風見鶏的な人物のようにも見えてしまうエピソードですが、龍馬が、当時所属していた土佐勤皇党に対して居心地の悪さを感じていたことや、勝の思想が後の明治政府の根幹につながることも考えると、龍馬は単純に目新しいものばかりを好んでいるのではなく、その中から「正しいもの」「有用なもの」を選び出す”目”にも長け、そこからくる柔軟な発想を持ち合わせていたのだと言えそうです。

■人に好かれ人を好きになる性格

おおらかで柔軟な性質の龍馬は、やはり多くの人から好かれたようです。これもドラマやアニメなどで描かれる、坂本龍馬のイメージ通りですね。

また、龍馬はただ周囲から好かれていただけではなく、龍馬の方からも多くの人物を好み、愛し、交流したという記録が残っています。

そのような龍馬の人物像については、歴史に名を残す偉人の多くから評価されていますが、後の初代内閣総理大臣・伊藤博文からの「どこへ行こうともその場に溶け込める雰囲気を持った人物」というのが、最も端的に龍馬の人物像をあらわす言葉だと思います。

実際、伊藤博文からの評価の正しさを証明するように、龍馬の周りには様々な立場の人物が名を連ねています。

とくに有名な人物だけでも、維新の英雄であり、薩摩藩と長州藩の代表格でもある、西郷隆盛と木戸孝允(きどたかよし、通称:桂小五郎)。龍馬にとっての師匠筋となった、幕府の中でも、特に外国に関心を持っていた知識人の勝海舟。土佐の尊王攘夷派の筆頭であり、土佐勤皇党の盟主でもある武市半平太(たけちはんぺいた)と、その門人である幕末四大人斬りの一人・岡田以蔵(おかだいぞう)。

上記に上げた人物だけでも、薩摩藩士、長州藩士、土佐藩士に幕府の官吏と、その立場だけを見ても大きく違いがあります。彼らの思想に関してもそれは同様で、彼らはそれぞれに異なる思想を持ちながらも、坂本龍馬という一人の人物を仲介することで結びついています。自分と違う思想を受け入れることは、現在の我々にとっても難しい事です。そのことを考えるだけでも、龍馬の人間的な特長を見て取ることができるでしょう。

特に、同郷であった武市とは「顎(あぎ)」「痣(あざ)」とあだ名で呼び合う関係であり、土佐時代の彼らは親しく交流していたと記録されています。龍馬が脱藩し、彼らが思想的に袂を分かった後も、武市は龍馬のことを「度量が大きく、考えていることを余人には掴ませない人物」と高く評価していました。真面目で頑固な男であり、本来であれば龍馬のタイプとは根っから合わないだろう武市にこうまで言わせるという、龍馬の好かれやすい人格が伺えるエピソードです。

女性関係のエピソードも多く、正式な記録に残っているだけでも、平井加尾(ひらいかお)、千葉さな子(ちばさなこ)、楢崎龍(ならさきりょう、有名な龍馬の妻・おりょうのこと)という、3人の女性と浮名を流しています。

正式な記録外にも、「龍馬に抱かれた」「抱いてもらった」と証言する女性の言葉が随所に記録されていることもあり、龍馬が今で言うところの「モテ男」だったことがよくわかります。先に名前を上げた中でも、千葉さな子は龍馬にベタ惚れしていたらしく、龍馬の死を知り、その後の生涯独身を通したとすら言われています。

ともかく、同性からは多くの尊敬と信頼を。異性からは多くの恋慕と、やはり尊敬をうけた龍馬が、この上なく魅力的な人格の持ち主だったことに疑う余地はありません。“人間力”が叫ばれる現代に生きる我々も、真似できるのならぜひ真似したいものですね。

■学力は低いが頭のいい人物

おおらかで柔軟な性格を持ち、後に日本初の株式会社を立ち上げる龍馬ですが、その学力は意外と高くありません。それどころか、現在基準で率直に言うと「バカ」であり、それ故に幼年期には塾を追い出されたとも言われています。

実際、同時代を生きた人物からの龍馬についての評価には「本を読まない人のため、間違えることも結構多い」「愛嬌のある人物だが、世の事情に疎く、何も知らない」など、龍馬のそういった人間性が記されています。

しかし、地頭の悪い人物であったかといえばそういうわけでもないらしく、後に龍馬と共に海援隊の立ち上げに尽力し、その後に陸援隊の隊長に就任した中岡慎太郎(なかおかしんたろう)からは、「龍馬は才知に優れた人物だ」と端的な言葉で評価されていることが伝わっています。

実際、龍馬のしていることは「(その時代の)常識外れ」ではありますが、そのほとんどが理に適った行動であり、「バカ」と評することには正直なところ疑問が残ります。実際、学力に優れた武市半平太が、志半ばで刑死していることもあり、そういう意味では龍馬の方が、自身の夢への道を賢く進んでいたとすら言えるかもしれません。

若き日の織田信長が「尾張の大うつけ(尾張の大バカ者)」とあだ名されたように、常識を破る人物は大概は馬鹿だと見られて始まるもの。龍馬についても信長と同様、そういう意味の「バカ」であったと言えそうです。

■その時代には珍しい、命を大事にするスタンス

龍馬が生きた幕末の時代は「国のため、志のためならば命も捨てる」という気風が蔓延していた時代でもありました。そのような気風の中、多くの志ある若者や知識人たちが、暗殺や切腹によってその命を散らしており、そのような幕末の時代をさして「日本刀が最も多くの血を吸った時代」と評価する言説も存在しています。

しかし龍馬は、そのような時代の背景に真っ向から背を向けるスタンスを貫き通しました。

そのような龍馬のスタンスがわかるエピソードには、従弟である山本数馬(やまもとかずま)とのエピソードがあります。

失態を犯した数馬が切腹を申し付けられた際、龍馬が秘密裏に彼の元を訪れて「こんなことで死ぬなどバカバカしい」と彼を逃がしたというエピソードです。数馬の失態も、本来であればおおよそ切腹に値するほど重いものではなかったため、現在の我々の基準から見ても、龍馬の判断は人道的にも法的にも正しいものだったと言えそうです。

龍馬によって助けられた数馬は、その後紆余曲折を経てキリスト教に入信。大司教として「命を大事にせよ」というキリストの教えを説きながら、その生涯を終えました。もしかすると、龍馬に命を救われたことに対する恩が、数馬の根底にはあり続けたのかもしれませんね。

他にも、龍馬は剣術や薙刀の腕前が達者であり、特に薙刀の腕は「北辰一刀流」の免許皆伝の域にまで達していましたが、龍馬自身は”実戦”を好まない性質であったそうです。過激な行動が目立った土佐勤皇党と袂を別ったことからも、その性質はうかがい知ることができるでしょう。

ここまで良い部分を挙げてきましたが、この性格ゆえ、表裏一体で裏目に出たこともあります。次回はそんなエピソードも交えてお話ししたいと思います。

私個人的に、書きながら感じたことは、自分の周りにもこんな友人が居るなと感じました。彼もまたチームの中心人物なので、いつの時代も普遍で不変なリーダー像なのかなとも感じました。






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