君の耳と鼻の形を知らない私

あけましておめでとうございます。

今年の目標とかのほうがnoteっぽいんだと思うんですが、それよりもこれです。まずはこれを読んでいただきたい。

半月ほど前にY子ちゃんから「投稿する前に念のために載せるのやめてほしい話がないかどうか読んでみて」と言われて下書きを読ませてもらい、私からはいくつかの誤字を指摘し、気づいたら私の誕生日に投稿されていた。そういうところだよね…下書きは読ませておいていつアップするかは言わず、よりによって誕生日に…ほんとなんなんだろうね。

さて、これを読んだ私の感想は、下書き段階でも、今でも、変わらず「は!?このひと何言ってんの!?全然ちがうし!!!」です。お互いが認知しているお互いの関係がゆがみまくっている。Y子ちゃんがつづってくれたエピソードの一つひとつを、正しく丁寧に解説していくととんでもない長文になってしまうので、できる限りさらっと触れていきます。


Y子ちゃんとの出会いは大学1年の授業の初日、水曜日の2限目の基礎ゼミみたいなクラスで、私にとってははじめて受ける大学の授業だった。教室に一番最後に入った私は、ドアのすぐ前の空いていた席に座ったけれど、隣にいたY子ちゃんは明らかに、帰国子女らしいサイケな空気を醸し出していた。

いや、パリピではないんだけど、前髪ぱっつん、短い髪は根元からのふわふわパーマ、赤ぶちメガネに紫のヘッドホン、みたいな、原宿にいる女子高生グループのなかで一番センスよくてイケてる子って感じの。以上すべてイメージであって実態の描写ではない。

Y子ちゃんは、真顔または笑顔なんだけど目が狩人だった。私は初対面かつ言葉を交わす前から「あ、喰われる」と思った。でも他に席がなかったから隣に座った。私はただでさえ人見知りをするほうなので、わりと緊張していたと思う。

そのクラスでの初日の授業は他己紹介で終わった気がする。Y子ちゃんは帰国子女で…それ以外どんな情報をその日得たのか覚えていない。「喰われる」とびくびくしていたはずの私はなぜかそのあとY子ちゃんと2人でお昼を食べた。コンビニとかで買ったのかな?お弁当持ってきてた?とりあえず学部の談話室みたいなスペースでお昼を食べようとして、椅子が空いていなくて、そこにはいかにもな帰国子女やら留学生があふれていて、私は「あ~やべえほんとにこの学部インターナショナルであらせられる…」と冷や汗をかいていた。Y子ちゃんはまったく動じていない様子で「椅子ないから座ろっか」と言って床に座った。私は「あ~やべえこの子ほんとに帰国子女だわ~」と思いながら一緒にカーペットのうえに座り、オーストラリアにホームステイに行ったことがあったので、大丈夫、こういう雰囲気見たことある、なんてことないぞ、と言い聞かせて心を落ち着けた。

その後も私とY子ちゃんは毎週水曜日のお昼をよく一緒に食べたんだと思う。Y子ちゃんのサークルのラウンジによく連れていってもらっていたし、留学から帰ってきてからは同じゼミに入った。そうして私とY子ちゃんが、1週間のどれだけの時間を一緒に過ごしていたのか、いまいち具体的に覚えていない。毎週何曜日は会おうね、と言っていたのか、明日会いたい、と連絡をして会っていたのか…いずれにしても、私と仲の良い友達はみんなY子ちゃんのことを知っていたし、Y子ちゃんのサークルの人にも私は「Y子とものすごく仲の良い子」として認識してもらっていた。


さて、私は初対面の、Y子ちゃんの目を見たときから、この子はやばい、やばい人だ、と思いながら、次第に、なんだかんだでとてもきちんとしたご家庭できちんとした教育を受けて育ってきたんだろうなという印象を受けるようにもなっていた。

Y子ちゃんはクレイジーだけど、大学生らしく「子供にはできない、子供っぽい大人の遊び」、つまり競馬だとか麻雀だとか煙草だとかに興味津々で、それがむしろ高校生までの彼女の清らかさを私に感じさせたんだろう。

彼女が付き合う男はみんな汚らしかったし、いけ好かないのばっかりだったけれど、Y子ちゃんは人間がどんなことで傷ついたり、嬉しくなったり、する生き物なのかということをよく知っていて、そういう選択肢を絶対に選ばない人だった。そんな美しいY子ちゃんが、どうしてそんな男を選ぶのか理解できなかったし、理解したくもなかった。「あ、この人、他のすべての要素がやばいけどなんだかんだいい人なんだ」とかも思いたくなかった。

Y子ちゃんが恋愛ごとや人間関係で愚痴をこぼしたり、悔しい思いをしているとき、あんなのの何がいいんだ…私にちんこさえついていればY子ちゃんを泣かせたりしないのに、といつも思っていた。でも、私にちんこがついていても、逆にたとえばY子ちゃんについていたとしても、私はY子ちゃんに触れることすらできなかったと思う。

蹴りたい背中だとか、アイスクリームを顔になすりつけたいだとか、そんな愛の言葉があるけれど、私はY子ちゃんに絶対そんなことしない。絶対にそんなことしないよ。


私はY子ちゃんに何かを求められたことなどほぼなく、Y子ちゃんは私がねだる前に私の欲しいものをくれた。だから留学中の話とか、依存とか、は?って思う。私はY子ちゃんに求められたらなんでも差し出せるのに、何も求めてはくれないし、受け取ってもくれないし、Y子ちゃんの世界に私の居場所はなく、私の世界にもY子ちゃんは存在しない。

悲しいことに、Y子ちゃんが私に何も求めないから、私はY子ちゃんに絶対的な信頼を抱くことができたんだと思う。私が彼女のいる人のセフレをしていて、そいつから「彼女に子供ができたから責任をとって結婚する、もうさちことはやらない」と言われたとき、震える手で最初に電話をかけたのがY子ちゃんだった。夜中だったから、そもそも出てくれないと思ったけど、Y子ちゃんは出てくれて、私よりも冷静に事態を把握したと思う。私も電話しておきながら何を話したらいいのかわからず、しばらくの沈黙のあとY子ちゃんは寝た。

そのとき私は、「あ、Y子ちゃん寝た、Y子ちゃんにとっては大したことじゃないんだ」と理解して、あ、大丈夫だ、Y子ちゃんが寝ちゃうくらいなんだから、大したことじゃない、と思った。いや、私にとっては大したことだったし、今でもあの時期のことを考えると苦しくなる瞬間もあるんだけど、これは私にとって乗り越えられるものなんだなと思えた。Y子ちゃんが寝ちゃったから逆に。

その次の日だったか、さらに次の日だったか、私は最後にそのちんこ野郎と会ったとき、「妊娠したから結婚するってなんだよ、私のほうが妊娠してたら本命捨てて私と結婚したのかよ、子供できたこと言い訳にすんなよ」と言った。彼の答えは「妊娠したのがさちこだったら、さちこと結婚した」。私への優しさという彼のずるさもあったんだろう、それでも学生の身分で結婚を決意したのに、子供をみごもった彼女への誠意がなさすぎて、私はこいつは本当に頭がおかしいんだと思い知った。

そのことをすぐにY子ちゃんに報告したら、これも私へのなぐさめだったのかもしれないけれど、「あの人は本気なんだね、本当にそういう考え方の人なんだね」と言われて。Y子ちゃんがそう言うならそうなんだ、と私は納得した。

Y子ちゃんのこと自体、私は理解できないけれど、Y子ちゃんの言うことはきっと正しいので、私は納得するしかない。あ、そうなんだ、と、なぜか、飲み下すことができた。


Y子ちゃんはすべてにおいて正しかった。まっすぐで、迷いがない。それでいて私のようなくよくよ悩んで落ち込んで感情にふりまわされてる甘ったれを見捨てずに、いつも等身大の私を、認めるでもなく、ほめるでもなく、支えるでもなく励ますでも怒るでもなく、ただ、見ていてくれたと思う。Y子ちゃんは不可侵領域で、ナニモノからも脅かされず、ナニモノにも屈することなく、そして私にはその人生を分け与えてくれることがなかった。

私はただ、おならのにおいで「あ、今日はおなかの調子が悪いのかな」って思ったり、Y子ちゃんが脱ぎ捨てた靴下を洗濯機に入れてあげたり、「今日は帰りが遅くなるよ」とメールをしたり、ただ、お互いの、感情でもなく趣味でもなく、人生を共有したかった。夫婦なら、今後の休みに何をしたいとか、どこに行きたいとか、何を食べたいとか、靴下がよれよれになったとか、牛乳がなくなったから買いに行きたいとか、知っていたり、お互いに教えるべきだったり、して、知っていること、「教えてほしい」と言うこと、「私のためにそれはやめて」と言うことを、許されるんだろう。私もそういう、「私たち」になりたかった。

Y子ちゃんが結婚すると言い出す少し前に、あ、こいつとは結婚してしまうかもしれないと思った出来事があった。そのエピソードについては、私も、負けたと思った。でも、ちんこついてるだけじゃん。「さちこちゃんは俺に会いたくないんだろうね」みたいなことを言っていたらしいけど、いや会いたいわけないじゃん、私にとっては赤の他人なのに。どこの誰でなぜ私に会ってもらえると思っているのか。Y子ちゃんからその男を紹介されそうになったとき、想像するだけで、気分が悪くなって、「旦那がさちこのツイッターを見てどうのこうの」とか、その赤の他人のなかにいつの間にか私の存在があることが、どうしても嫌で、もし顔をあわせることになったとき、我がもの顔で「Y子の夫です」とか「いつもうちのY子がお世話になってます」とか言うのかと思ったら、Y子ちゃんの隣に座るのかと思ったら、Y子ちゃんと一緒に帰っていくのかと思ったら、とてもまともな感情ではいられなくなった。ので、その人と会ったことはない。名前も憶えてない。Y子ちゃんがY子ちゃんの写真を送ってくれるときに、これ撮ったのそいつなのかなって思うだけでわりと無理。私が知らないY子ちゃんを知っている人間がいることが嫌。私はY子ちゃんが結婚すると言い出してから赤ちゃんが産まれるまで、Y子ちゃんに会わなかった。法的に精神的に「世界で一番大事な存在」みたいな生き物が私以外にいるY子ちゃんには会えなかった。お母さんになったY子ちゃんを見たとき安心はした。私の居場所のなさは変わらないけど、親子の関係に対抗意識みたいなものはさすがにないので、私の心にはそれなりの平穏が訪れている。ただ、こないだY子ちゃんが「仕事はしたいけど仕事したくないし、どっちにしても生活していけるから扶養控除内で収めたい」って言ってたときに、あ、私もY子ちゃんと子供養えるだけの給料があればいいんだって思った。


Y子ちゃんはいつも清らかで、研ぎ澄まされていて、美しい刀身のようだと思っていた。私にはとても扱いきれなくて、輝いていて、もったいなくてとても手を伸ばせなかった。私はY子ちゃんの、耳のかたちも、鼻のかたちも知らない。思い出したくても、思い出にすらならない。触れたことがないから。

だからY子ちゃんが私のことを元カレとかセフレって例えているのが、本当に頭おかしいなと思う。いったいどこに相思相愛の要素が?貪欲な私が、Y子ちゃんから本当に欲しい愛をもらったことは、3回くらいしかない。あと、私がY子ちゃんといて一番ショックだったことは、セフレの本命妊娠事件とは全然全く違うイベントだよ…すれ違い…。



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