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ただ月が替わるだけ

明日はクリスマスイブ、明後日はクリスマス、大晦日が来て、お正月が来る。その時に飛び交うのが「今年も一年ありがとう」「本年もどうぞよろしくお願いします」などの言葉。私もその流れに沿って、これまでは当たり前のようにそうした挨拶を繰り返してきた。でもなんか今年は違う。11月までペラペラと雑にめくっていたページが、12月最後の1週間と1月最初の1週間だけ非常にめくりづらい。そんな印象。

先日おふろの国に行った時、熱波師の井上勝正さんに私は「井上さん、ちょっと早いですが今年もお世話になりました」とご挨拶した。すると井上さんは「月が替わるだけですよ」と返してきた。またそんな言い方して・・・と思いながらも、まあそういえばそうだなとも思った。そこへ宮川はなこさんがやって来て、「サチペソ、今年一年ありがとう!」と声をかけてくれた。その瞬間私は「今、井上さんに月が替わるだけだと言われた」とはなこさんに愚痴っていた。やはり私は納得していなかったのだ。というより井上さんに何かうまい返しをしたかったのに、できなかった自分が悔しかったのだ。

するとはなこさんは井上さんに向かって「今年もありがとうと言ってひと区切り付けるんですよ!じゃないと毎日のっぺりするから」というようなことを言った(はなこ語を正確に記憶するのは難しい)。井上さんはそれを聞いて「そうか」と微笑んだ。

すげーな

井上さんを黙らせちゃったよ。しかも正論で。正論には正論しかない。

何で私はそういう言葉がすぐに出てこないのかな。そう、年末年始の挨拶は一つの区切りなんだよ。期限があるから人はそこまで頑張れる。そしてまた新たなスタートを切れるんだよね。大事よ、だいじ。

自分の考えがまとまってスッキリした。


別の日、仕事場で。

週に1回だけ出社している女性が、一足先に「今年も一年お世話になりましたー」と皆に挨拶していた。私はその時席を外していて、挨拶しそびれてしまった。もう帰っちゃったよと同僚に言われた私はつい、「別に月が替わるだけじゃん」と口走っていた。

しまった

井上さんのキャラクターなら許されることでも、私は許されない。同僚は笑っていたけれど、きっと心の中では何だこいつと思っていたに違いない。だけどこの時の私は本当にそう思っていた。自分だけ挨拶してもらえなかったことが悲しくて言ったわけじゃない。あと2週間もすればまた会えるのに、と本気で思ったのだ。

何が言いたいのかというと、私の考えはコロコロ変わるということである。そしてそれが自分でとても嫌なのだ。人に何か言われるとすぐにそっちが正しいような気がしてくる。でも何日かするとやっぱりこっちの方が正しいような気がしてくる。全く自分というものがない。それは自分だけが思っていることではなく、他者にも言われる。あなた、この前言ってたことと違うじゃない!と。

で、今の私はというと、

井上さんのように、12月と1月では月が替わるだけだと思っている。もしかするとそれは、来年に向けて計画したり準備したりするのが面倒だからなのかもしれない。そういうことにワクワクする人が羨ましい。月が替わるだけ。いつもと同じように過ごすだけ。区切って頑張らなくていい。そう思うと楽になる。さらに年末年始に頑張って、パーティや飲み会やイベントに参加しなくちゃと気張る必要もない。SNSで皆さんの楽しそうな様子を見ても、単なる休日にしか見えないだろう。あぁ、楽だ。井上さんも年末年始は毎年仕事で忙しく、今年も同じだと言っていた。月が替わるだけで通常通りなのである。私もそれで行こう。


でもその話をした2日後。



井上さんは結婚を発表した。1月には婚姻届を出すらしい。

しっかり区切り、つけてんじゃん!


私は心の中で叫びながらも、井上さんのツイートに「おめでとうございます」とリプしていた。



サウナのサチコ


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