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サチペソ

「サチペソ」というのは、私のあだ名です。おふろの国の熱波師、宮川はなこさんが付けてくださいました。最初はどういう意味?と思いましたが、はなこさん曰く、私は「ペソペソ」しているのだそうです。それも良く分かりませんがw 

トップの粘土はその、宮川はなこさんです。はなこさんが井上勝正氏の熱波を、サ室の前で盗み聞きしている図です。

大人になるとあだ名は無くなります。あだ名って同年代の人か、年上の方から付けられることが多いと思うんです。私は今、どこに行っても年上なので「サチコさん」とばかり呼ばれます。はなこさんは明らかに私より年下ですが、私にあだ名をつけてくださいました。あだ名がつくとぐっと距離が近くなります。人との距離の取り方が下手な私にとってサチペソというあだ名は、「ここまで近づいて来ていいよ」というはなこさんの合図のよう。はなこさんの優しさを感じます。

今の私はこれでもだいぶ社交的になったと思うのですが、中学高校の頃はとても内向的でした。例えば高校1年の時に好きな人ができたのですが、3年間同じクラスだったのに好きだと言えませんでした。本人だけでなく友達にも。彼はおとなしい人で、ハンドボール部にいて、勉強のできない人でした。席が近かったこともあり、よくノートを貸しました。ノートを貸した後はいつも、私と私の友達の分のゼリーを買って来てくれて、それが嬉しくて仕方なくてまたノートを貸しました。どんなにノートを貸しても、彼の成績は一向に伸びませんでしたが。

クラスの女の子たちは彼のことを下の名前で呼んでいました。呼び捨てで。私も呼んでみたかったけどできません。彼が体育祭で私の友達とペアを組んで踊っているのを見たり、彼が文化祭で私の友達とバンドを組んでいたりするのを、いつも羨ましく見てました。見ているだけです。

高校なんて恋人がいるか、部活動に入らなければ何も面白いことはありません。でも私は帰宅部でした。何かに入ろうかと色々な部を覗いてはみましたが、自分の中で勝手に理由をつけては諦めていました。家に帰ってもすることがないので、アルバイトをしました。小さな文房具店です。バイト代を使うところもなく、電車に乗って西武新宿駅に行っては、PePeやサブナードで一人でアイスを買って食べてました。学校に行っても面白くないので、よくサボって「いわさきちひろ美術館」で時間を潰してました。もちろん一人です。

卒業間近のバレンタイン。これが最後のチャンスと、彼にチョコレートを作って学校に持って行きました。でも結局クラスの女の子にあげてしまいました。勇気が出なかったのもあるけど、その日、彼が別のクラスの女の子と付き合っていたという噂を耳にしてしまったからです。単なる噂です。しかも「付き合っていた」という過去形です。

それなのに私は、そんな噂に深く傷つきました。何も知らなかった。ずっと見てたのにバカじゃないだろうかと。ノート貸してあげて満足して、脈があるんじゃないかとまで勘違いしたりして。自信がないくせに自意識だけは過剰な高校生でした。そしてそんなことで心がポッキリ折れて、すべてを諦めてしまうダメな人間でした。

彼を諦めた私は、その後急速に仲良くなった別の男の子に、勢いで自分から告白しました。そして速攻フラれました。ほんの1か月くらい仲が良かっただけなのですから当然です。おそらく反動です。3年も言えなかった気持ちを、どこかにぶつけたかったのでしょう。その人もいい迷惑です。

その後、同窓会がありましたが、3年間好きだった彼は現れず、消息不明。代わりに私が告白した男性はニヤニヤしながら、私に話しかけてきました。


なんでこんな話を書いたのかというと、

私はいつも力を入れるところを間違えるということです。告白すべきは3年間好きだった彼であり、最後にひょっこり現れた気の合うクラスメイトじゃない。打ち込むべきはアルバイトではなく、興味のあった美術部とかバレーボール部だったはず。

なぜいつも残念な選択をするのか。それは一番好きなことは一番大事で、失うことや傷つくことが怖いからです。それをして失敗したら代わるものがない、そう思ってしまうからです。

だけど、その時挑戦しなかったものは、二度と巡ってはこない。本当に好きならまた必ず挑戦できるというのは、楽観的な人の意見。時間は有限であり、自分が置かれた環境は常に変わって行きます。たとえもう一度チャンスが巡って来ても、今度は環境や体力のせいで諦めざるを得ないということも、十分あるのです。あるいは挑戦できたとしても若い頃のように全力ではできず、思ったような結果は得られないかもしれません。

私は社会人になってからも、同じような失敗を何度か繰り返しました。2番目で妥協するクセ。でも2番手3番手を何度手に入れても、その満足感はあっという間に消えて行ってしまう。そしてもっともっとと求めてしまう。そんな風に過ごしているうちに、だいぶ大人になってから、ようやく自分が本当に1番と思うものに挑戦できるようになりました。ただ高校の時に想像した通り、一番やりたいことに挑戦して失敗すれば傷つくし、下手すれば鬱になり、抜け出し方もわからないほど目の前が真っ暗になることもあります。

それでも、

突き動かされる何かがあれば行動した方がいい。成功すればその喜びは言葉にできないほどでしょうし、失敗してもその後は必ず別のものが巡って来る。もっとスペシャルな思いもよらないものが巡って来る。私の場合それが粘土でした!・・・って、あれ?

粘土は文章を書くためのものだった。つまり2番手。おかしいな。また今日も矛盾した文章になってしまった。モヤモヤする。

ペソペソしてるってこういうことかな。メソメソ泣いて沈んでいるわけでもないけど、なんかいつも心がペタペタ湿っているような・・・。はなこさん、どういう意味でしょうか。

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写真は、東名厚木健康センターで販売している粘土の在庫状況です。(10月12日現在)。販売してから2週間弱経ちました。たくさんの方にご購入いただいて、粘土も私も幸せです。2番手でも満たされています・・・というか、もしかしたら粘土は私の1番になりつつあるのかもしれません。

お買い上げくださった方、本当にありがとうございました。


それではまた。

サウナのサチペソより



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