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自分は自分のパトロンである説

わたしが自分のパトロンってことか!
それならぴったりだ!

さっき風呂上がりに髪の毛を乾かしながら思った。

改めてパトロンと調べたらこんなふうに書いてあった

パトロン
(特定の芸術家・団体・主義などの)経済的な後援者。保護者。転じて、芸者などの旦那(だんな)。
▷ patron


普段、わたしはコンサルティングやIT関連のサポートやデザイン業務の一部を担っているフリーランスだ。

最近、自分ビジネスが安定してきたのをきっかけに、もう少し将来を見据えて自分自身を再設計しようといろいろ考えているところだった。その中で、メンターのばたちに、「右脳を信じて活動してみては?」というナイスな案をもらっていた。

GWも右脳をかなり意識してきたこともあって、今日からの仕事初めに支障があるなと思うほど、ぼんやりしている自分がいた。
ぼんやりを逃さないようにしながら、今後について考えている中で、セッションやYouTubeのライブ配信をする中で、いろんなことが繋がっていく感覚があった。

そこでさっきの、パトロン説が浮上した。

似たようなことを、それこそメンターが言っていたのでその影響もあるかもしれない。(ばたちのstand.fmに自分を推すについて語っているラジオがあったはず!)左脳は右脳のマネージャー的なことも言ってくれていた。

そして、わたしにとってはこれ「パトロン」という言葉がぴったりな気がした。


わたしの右脳をわたしの左脳がパトロンするのだ。
左脳で稼いできて、右脳に投資する。そんな感じ。

これはGWのお休み中に子どもたちと作っていたアート。

左わたし・真ん中長女キョキョ(5歳)・右次女みみ(3歳)の作品だ


アートといっても、ただ絵の具を流し込んだだけのもの、とも言える。
でも、この活動はわたしにとってとても楽しい時間だったし、親子のコミュニケーションに時間だったし、子どもたちの持っている可能性を痛感する時間でもあった。
わたしの人生にとって、とても大切な時間に該当すると思ったわけ。

こういう小さな活動は、仕事が優先だからやらない方がいい活動なのだろうか。

昨日のnoteのような、思いつきで書いたnoteは仕事につながらないから無しなのか。

そんなことないと、少なくともわたしは強く思った。

仕事だから自分を奮い立たせて、お尻を叩いて、PCの前に座らせて、ポモドーロを回して仕事をさせるために生きている。それだけでも十分いいと思っていたけれど、どちらも選択することも許されるのでは?なんて考えた。

そこで、何の役に立つかわからない活動を、右脳のわたしにはメインに進めてもらうのがいいと思った。
意味がわからない時もある。なぜやっているのかわからないこともある。
でも、それでいい。

我流でいい。習わなくていい。真似しなくていい。下手でいい。

パトロンである左脳のわたしが、そう許可を出してあげる。

そして、左脳は思いっきり仕事もする。

その仕事も客観的に、俯瞰してみると、かなりアーティスティックで面白い。今日もセッションの後、すごく嬉しいフィードバックをいただいて、ウキウキしていた。(わたしも手応えがあったので余計に嬉しかった)
(実際は右脳もふんだんに使っているのだけれど、今はあえて分けて考えやすくしている)

どちらもあっていい。
どちらも成り立ったらもっといい。

だから、自分的には両立の道を探ってみたい。

パトロン。それくらいの気持ちで、右脳は乗っかってみる。
左脳はかけてみる。そして清々しく稼いでくる。

そのスタイルでやってみようと思う!

またやることそっちのけで書いてしまった!笑
あとは左脳ちゃんよろしく!

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