平成を生きぬいた。と思ってる42歳。
令和になる時に、テレビで何度もみた
”平成を振り返る”番組や、特集。あってるとその場でテレビに釘付けになるくらい、めちゃくちゃ好きだった。(現在もう令和6年なんて信じられない!)
なぜなら、現在42歳の私たち世代が生きてきたのは、まさに”平成そのもの”だからだ。平成生まれだけが平成を生きてきたわけではなく、そこには間違いなく昭和生まれも、存在していたことをここで伝えておきたい。
(ほどのことでもないが)
幼少期のリビングを思い出すと、そこは完全なる昭和のおもかげがある。レトロな食器に家具。当時の母親の髪型も昭和そのもの。
ちびまる子ちゃんのアニメ放送がはじまったころがちょうど平成のはじまり頃だったと記憶しているが、槇原敬之のどんなときも、KANの愛は勝つ、やまだかつてないテレビ、とんねるずの生でダラダラいかせて(笑)、ポケベルが鳴らなくて、小学生のころの記憶の断片さえもすべてが平成色を感じさせてくれる。
中学生になってASAYANにはまり、(というか放映日の次の日にはASAYANの話で持ちきりだった)小室哲哉の音楽に染まり、そしてたまにいまでいうシティポップ?(なのか?)系の
カジヒデキやオザケン、サニーデイ・サービスを聴くという、世の中にテレビと音楽が溢れていたありがたい時代に思春期を送った。
高校時代は、ジュディマリや、千秋にハマった。読む雑誌はZipper、CUTiE、色も音も、当時高校生だった私の目に入るものは、ポップなものが多かった(ような気がする)
20代は仕事や恋愛に追われ?ほぼメディアに触れないまま、世の中は平成の終わりへ近づいていくのであった。
いま平成という時代を振り返ったとき、
私の思い出の中の”平成”は、カラフルでポップで、たまに強く何か心を揺り動かされるような希望に似たような感触がある。
私にとっての平成とは、思い出すと
”いまでもそっと背中を押してくれるような時代”
である。地味にでも、平成を必死に生きてきた自分に、ありがとうとお疲れ様を言いたい。
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