”ことば”の重さ
人間関係ときっても切り離せないもの、それが”ことば”だと思う。
私は、ことばが持つ”重さ”が好きだ。
いろんな場面ごとで、ことばの重さはいつも違っていて、自分のことばにも他人から発せられることばにも、その都度違う重さがあると思っている。
だから私たちはそのことばの重力で、ときには息ができなくなるほどに心が押し潰され、
また時にはそのどっしりとしたことばの重さによって、下から支えてもらう。
ことばの重みが安心感や気づきに変わるとき、私はまた明日を生きてみようと思う。
子どものころから”ことば”というものに興味があった。
はじめは親や兄弟、そして大きくなるにつれ、周りの友達からのことばを、受け取った各々が、それぞれ喜んだり、腹が立ったり、落ち込んだりしながら、もらったことばを自分の中でかみくだき、そのうちに、自分だけの、自分らしい
”ことば”ができていくのかな、と考えると、
ことばの中に、その人の背景や人生や人となりみえてくるような気がして、興味深い。
しかし実際のところ、ことばの重さなんて目に見えないし、そもそもことばに重さなんてない。感じ方も、人それぞれ。その時々によって自由に重さはかわる。
何気なく放った一言がだれかの力になることも、誰かを死に追いやることもあるということは、人類の長い歴史のなかで明確である。
つまり言いたいことは、
私がいまここに存在している間は、
自分の”ことば”を発することに臆病になりたくない、ということだ。
たとえ地味でも目立たなくても
そこに存在している自分らしい”ことば”が、
自分の刻んだ歴史と共に
いろんな人間関係に磨かれて、
やがて自分を闇から救い出してくれる、重い重いたったひとつのダイヤモンドになることを信じている。
読んでくださって、ありがとうございました!!
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