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【かわいそう】は罪悪感の償い

【かわいそう】という言葉

私の親が良く言う言葉であり

親なら良く思う(使う)言葉かもしれない

一見優しそうだが、非常に利己的な意味がある

【かわいそう】を紐解くと罪悪感の償いに繋がっている

これについて私の体験をもとに解説してみる

そもそもどんな時に【かわいそう】が出てくるか?

良くあるのは大切な人が辛い、痛い思いをする時。

その奥には辛い、痛いのを「自分が」見ていられないから

というのが潜んでいる

【かわいそう】=私がそれを感じたくないというわけ

じゃあ 痛みを感じたくない理由は?

【怖い】から

何が怖い?

自分が経験した痛みや苦しみを思い出すから。

相手が悲しんだり苦しんだりしたら

自分が辛い

もうそんな想いはしたくないから

やってあげようとする

やってあげることで上下関係を作り

give(あげる)することで相手から

take(もらう)する

何をtakeするのか?

自分の存在価値である

自分がいないとダメだという存在価値

相手を依存させることで

自分の存在価値を証明したいんだよね

又、身近な人でいうと感じたくない怖さの中には

自分の存在価値が無くなりそうで

怖いという想いも実はある

相手が自立して自分を頼ってくれなくなったら

自分の価値が無くなってしまうという妄想からくる

特に母親は厄介

母親と子どもはもともと一体だった

それを切り離して生まれてくるから

我が子は自分の一部と考える人は多い

物理的に分離したけど精神的には繋がっていたい

離したくないという想いから

共依存に繋がる

本人は良かれと思ってやってあげているし、

それが無自覚だから余計ややこしい


でも理解したいのは子どもと自分は別人格であり

別の一個人なんだってこと

どんなに誰かが自分の価値を認めてくれたとしても

自分が認めなければ満ち足りないのだ

親が本当の意味で自立する必要があると思う

ところでなぜ【かわいそう】が

罪悪感の償いになるのだろう?

実はかわいそうの前に【こんな私が母親で】がある

こんな私が母親で申し訳ない(罪悪感)から

せめて子どもに何かやってあげる(償い)ことで

罪悪感を償っているつもりになっている

(そもそも完璧な人なんていないのだけど)

他者へのかわいそうにもこんな私でも

何かやってあげることで存在価値を見いだしたい

ってことになる

つまり自分を責めたり、申し訳ないと思う自己否定が

罪悪感を生み、それを償う為に

【かわいそう】だからやってあげるを

生み出していることになる

こんな偉そうなことを言っている私だけど

実はまだ無自覚に【かわいそう】が残っていた

息子のグラグラする乳歯を思い切って抜けない自分がおり

何故なのか掘り下げていくうちに気付いてしまった

痛がる息子を見たくない

それはかわいそうだから見たくないのだった

気付いた時には愕然とした

手放したと思っていた想いが残っていたから...

他にも7歳になる息子がなぜ未だにおっぱいに執着するのか

また私への依存心が強いことも

全て私が手放したと思っていた

【かわいそう】で紐解けた

私はまだ【かわいそう】と息子を心配し

息子に依存させて自分の存在価値を

見出そうとしていたんだ

なぜそんなことをしていたのだろうか?

自分と繋がっていないから…に他ならない

自分に自信がなく、

価値がないと思い込んでいたから

外側で埋めようとしていたんだ

私から生まれ出た息子を繋げておくことで

心の拠り所にしたかったんだ

それは息子を依存させることになる

なぜ息子はこんなに寂しがりで

弱虫なんだろうと思ってたけど

私が息子をダメにしてたんだとわかった

じゃあ私はどうしたい?

息子に依存する(させる)のをやめたい!

そして自分と繋がり直し、

自分の意識、感情をしっかりキャッチしてあげる

息子は私がいなくても大丈夫だと決めた

私の煮え切らない中途半端な想いが

中途半端に息子を依存させていたからやめるのだ

もう息子がおっぱいを触りたいと言ってきても

情を挟まず、きっぱりNOと言う

息子はおっぱいが無くても大丈夫だし

先回りせず、心配もしない

もし失敗しても辛さや痛さを感じても

立ち直る力があると信頼する

息子には乗り越えることができると信じる

心配するくらいなら自分のことを考えた方がいい

そう決めて、ベッドに入った

私の大きな気付きはやはり現実にも表れていた

いつもなら一緒に寝ている息子は

無意識に私の方に寄ってきて

必ずおっぱいを探り当て、その状態で寝る

(更には無意識なのにその手をどけた時に手を匂うんだよw)

でも昨夜はおっぱいを探り当てるどころか

私の方に寄ってくることも無かった

こんなに違うんだと驚いたが

今朝起きてきて私のおっぱいを触ろうとしてきた

そう簡単にはいかないかw

これは私へのお試しなのだ!

本気なのか?という

でも何を言ってきても私はもう決めたんだ!

昨日の気付きを全て話し、もう卒業!と伝え

絶対に触らせなかった

少しの間怒っていたが、すんなり諦めたようだった

その後は超ご機嫌になり私が思う以上に

自立した言動をするようになった

自分の意識が現実を創っていることを

改めて感じた1日だった

自分が感じている疑問や問題は

必ず自分の中に答えがある

できない!と残念に思うこともあるけど

それもひっくるめて自分なのだ

私が私をしっかり認めてあげてさえすれば

何が起きても大丈夫なのだ

日々自分が反応することを紐解いて

自分とどんどん繋がる喜びを日々感じている

一歩一歩進んでいこう


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