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東京、帰り道


26歳の秋。長年住んでいた実家を離れ、都心部で一人暮らしを始めた。
職場は実家から通える距離だったけど、親元での生活を変えてみたくなった。学生時代から自分が変わっていない気がして、何か変えてみたくて。親には相談せず、勝手に家を出た。

実家を出てからは、毎日が新鮮で楽しかった。部屋を自分好みに変えてみたり、毎日食べたいと思ったものを食べてみたり。お弁当作りも挑戦してみた。
実家でもできることだったのかもしれないが、当時家族にも遠慮をしていた私とっては、難しい事ばかりだった。当時は、親に迷惑をかけない事ばかりを考えすぎてしまって、かえって手出しができない事ばかりだったのだ。
(親から言わせれば、ご飯を自分で作るなんて「ありがたい!」事だったみたいだけど、それがわからないほどコミュニケーションが不足していた)
親と距離を取ることで初めて、我慢してきたことを発散するようになった。

しかし、慣れない生活に疲れも感じる。自分の意思で家を出たはずなのに、街はいつまで経っても私によそよそしい。繁華街に遊びに行くことも勇気が出ず、また歓迎されていないような気がして、いそいそと家と職場を往復した。でもそんな家でも、疲れて帰ってきても暖かく迎えてくれることは決してなかった。

その日の私も、残業が続く毎日にヘトヘトになりながらも、なんとか電車に乗っていた。しかし、電車に乗っているとなんだか頭がぼーっとしてくる。しばらくして、満員電車の中で気分が悪くなっていることに気がついた。

あー、ついていない。最悪。休みたくとも、もちろん座席は埋まっており、吊り革を掴むのがやっとなくらいである。どうしようもなくて、次に停車した、降りたこともない繁華街にやっとのことで降りた。

電車から降りたらもう限界だった。その場でしゃがみ込み、動けなくなってしまった。最悪だ。早く回復しなければ、通る人の邪魔になる。次の電車もすぐに来るだろう。でも動けない、どうしよう。パニックになり、涙が出そうな時だった。

「大丈夫ですか?」右から声がして振り返ると、女の人がしゃがみ込み、こちらを覗き込んでいる。

やっとのことで頷く私だったが、明らかに大丈夫には見えなかったのだろう。
「水飲めますか?少し待っててね」と、私を置いて駆けて行った。

それからしばらく、今度は別の男性が声をかけてきた。
「大丈夫ですか。椅子まで移動できる?」
女性を待っていたこともあり、それを伝えると、男性は安心したように「気をつけて」と声をかけてくれてから、少し心配そうにこちらを振り返り、立ち去った。

それからすぐ女性が戻ってきてくれた。水を私に渡し、ベンチまで誘導してくれる。その頃、ようやく申し訳なさが込み上げ始めてきて、
「本当にすみません、ありがとうございます」「なんてお礼を言ったらいいのか」
なんてブツブツ伝えようとしたけど、彼女は笑って受け止めてくれた。

最後にベンチで少し回復した私をみて「お大事に」と立ち去ろうとした彼女に「お水代!」と叫び財布をガサゴソとしていたら、彼女は片手でそれを制して、足早に立ち去ってしまった。

しばらく呆然としていた私だったが、ようやっと電車に乗って帰路に着いた時、ようやく女性の優しさを、じんわりと受け止めることができた。
そう、彼女は見ず知らずの私に優しくしてくれた。明らかなローカルな駅ならともかく、繁華街の駅で、ただでさえ声をかけにくかっただろう。そんな時でも、私に声をかけてくれて、近くの売店で自分のお金で水を買い戻ってきてくれて、ベンチまで連れて行ってくれた。
なんて優しいんだろう。彼女が買ってきてくれたミネラルウォーターは、気分の悪い私を助けてくれただけではなく、萎れていた私の心まで満杯に潤してくれたようだった。
彼女だけではない。しゃがみ込んでいた私に声をかけてくれた男性もいた。私を心配してくれた人は、他にもいたのだ。

東京はよそよそしいなんてよく言うけれど。
実は、優しい人だっていっぱいいるんだと思う。それが見えずらいだけで、あなたを応援してくれる人は、きっと近くにいるはずだよ。

住み始めた街に少しずつ温もりを感じてきた今だからこそ、少し前の私に教えてあげたい。

#やさしさに救われて

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