わたしとあーちんのこと⑥

相手を尊敬、尊重する気持ちがないと、
言葉はコントロールの道具として伝わってしまうんじゃないかしら。

子供が親の言うことを聞かない
という話をきいて思ったこと。

「〜しなさい」→やらない→「言うこと聞かない」
は、そもそもこの人(子)はやらない と思っているから、
ほら思った通りやらないでしょ
と、願いが叶ったかたちになっているように見える。

うちの場合、基本的には「好きにして」だ。
けれど、自分でやると言ったことをやらなかったとき、
信用を失うということを知ってもらう。
わたしが怒るのではなく、自分に返ってくるのだということを。
ぜんぶ自分次第なんだと知ってほしいので。

宿題とか学校との約束は、
わたしではなくて先生との信頼関係だから、
わたしは口出さない。
わたしは別にどっちでもいいけど、
やらないなら先生にも何かしてもらおうと望むな、と。

子供だから許されると思うな
大人をなめるな という厳しさと、
同じ目線で同等にいることを、
同じ重さで持っていたいので。

干渉から逃げる理由としての「自由」ではなく
全部自分で決めるという荒野に立つ「自由」を
そのきびしさと楽しさを知ってほしいから
自由にさせるというのは、
実はかなりスパルタ教育だとも思う。

いい子供でいてほしいのか、
ひとりの人間として見るか
その差は大きくちがうと思う。

わたしは、あーちんを尊敬している。


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