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それぞれの問題の中で、他人を尊重するということ

新型コロナウイルスの影響の中で、わたしも仕事に大きな支障があったので、まずは自分を助けるためにあれこれやっていたのだけど、ちょっと今書いておきたいことがあるので、とりとめないけど書きます。


湧き出る2種類の問題

こういう想定外のできごとがあったときに湧き出てくるのは、直接できごとに影響された問題と、もともと普段からあった問題の2種類あって、混ざっています。

前者は、直接的な健康への影響や、仕事への影響、外出自粛による人と会えないことのストレスなどです。

後者は、コロナ問題にスイッチを押されて出てきた、もともとあった問題がドカンと見えてくるもので、人間関係、仕事、経済的不安、などそれぞれです。コロナ離婚などと言われるのも、コロナはきっかけにすぎず、もともとあった問題を直視せざるを得ない状況になってしまったわかりやすい例だと思います。

わたしも、2011年の震災の時に同じような経験をしました。

当時、もう数ヶ月後に退社が決まっていた会社で働いていたのですが、目の前の仕事をただやっつける日々に訪れた地球からのビンタに、社員のみんなが大きく揺さぶられる様子を目の当たりにしました。

世間が「今できることをしよう」と自分の仕事に誇りをもって頑張っているなかで(それも世間のごく一部ではありますが)、自分のいた会社では「こんなことしてる場合じゃない」と仕事を投げ出す人が多くいました。きっと普段からお金をもらうためだけにガマンして仕事をしていたのが、表面に出たのだと思います。

このように、もともとあった問題が表面に湧き出てくるのは、普段は目をそらしていたことに無理矢理にでも気づかされるので、行動するにはチャンスだとも思います。


個人的でどこにも重ならない思い

ただ、ややこしいのは、普段からある問題は個人的なことで人によってちがうのはもちろんのこと、今回はそれに加えて、コロナ問題での影響も人によってそれぞれで個人的なのです。

震災のとき、影響が大小のグラデーションだったとすると(もちろんそんな単純ではありませんが)、今回はまったく別レイヤーで各方向でさらに個別化されているというイメージです。

職種によって影響の出方も大きさもちがうし、仕事を続けている人と止まってしまった人、在宅でできる仕事とできない仕事、お給料をもらう側と支払う側、都市と地方など住んでいる地域、健康状態、経済状態、家族や同居人がいる人とひとり暮らしの人、など、キリがないほどありとあらゆるパターンの異なる問題があります。

それぞれの問題があるよね、という中で、圧倒的に必要なのが「想像力」ですが、今回は普段からある「人類に想像力が足りない問題」に加えて、想像力をもってしてもどうにもならないことが多くあるように見えます。

通常なら、友達同士で「こういう問題があってさ」「それは大変だねえ」と共有したり共感したりしながらなんとかやっていたことが、最近ではそれすら難しいように思います。

個人的な悩みや困りごとが同時多発で起こっているので、「わたしは困っています」に対して「ぼくだって困っている」「もっと大変な人だっている」「そんな悩みは贅沢だ」と、共有さえできなかったり、傷ついてしまったりしています。

また、想像力をはたらかせていろんな状況を知れば知るほど、「自分の問題はたいしたことないな」と、自分の問題から目をそらしてしまって、社会の問題や自分以外の誰かの問題を優先順位高い位置に置き換えてしまうこともあります。


他人を尊重するためにつながりを諦める

想像力がうまく作用しないとき、使い方とその先の目的がちがうのだと思います。今、この状況で、目的をどこにすればいいかというと、わたしは「他人を尊重すること」だと思います。

とてもむずかしいことですが、これこそ「普段からある問題」だとも思います。

「他人を尊重する」というのは、相手の気持ちを想像して汲んで自分の意見を調整するのではなくて、どんな人もそれぞれの性格に加えて生きてきた中で偏ったクセがついて価値観もちがうから、一旦それを認めたうえで、自分も相手も変わらないままで適切な距離感をつかむ技術です。

まずは、想像力で「ちがう」ということを知る。今回であれば、コロナによる問題は人それぞれちがうということをまず知る。そして比較しない。

そのうえで、今大事なのは「適切な距離をとる」の部分で、それがとても難しいのだと思います。

いつもなら、好きな人と近い距離、苦手な人は遠い距離、で済むけど、今はどんなに好きな人でも、真逆の状況下にいたらお互いに共感はできません。友達だからわかってほしい、好きだからわかりたい、という気持ちよりも、今は相手を尊重するからこそ、意識的に「わからないものだ」として距離をとる(物理的には離れていると思うので、精神的に)必要があると思うのです。

もちろん、困っている同士助け合いたいという気持ちはあるけど、今はつながる場所をまちがってしまうと双方向の助け合いはできず、しんどいので、誰と関わるのか、どことつながるのかを再構築したほうがいいのだと思います。

好きな人とも距離をとるなんて、今までのつながりがなくなるようでさみしいけれど、なくなるのではありません。この状況下で最適な距離と、通常時の最適な距離はちがうというだけです。


想像力で自分を傷つけないために関わる範囲を決める

既存の人間関係だけではなく、情報との距離や、知らない人との距離の取り方も大事です。

想像力があって、視野が広がって選択肢が増えても、距離をつかめないと全方位に配慮して何も言えなくなってしまいます。言えないどころか、何も感じなくなるのも怖いです。

「全部はムリ」なので、いろんな方向が見えたうえで、どことつながり、誰と関わるのかを自分で距離を決めて、立ち位置を明確にしないと、「結局なにも言えない」とか「あっちに配慮したらこっちを傷つけてしまった」などと、想像力で自分を傷つけてしまうのかもしれません。

全体に配慮しなくてもすむ「ここでは正直に言っても大丈夫」と思える場所をもつことも大事だし、いつでもどこでも自分の意見を主張せずに、場所によって言う範囲を変えることも必要です。とてもむずかしいけれど。


距離をとるための技術と変化するための知識

他人を尊重するために「自分も相手も変わらないままで適切な距離をとる」と書きましたが、すぐには難しいとしても、関わりたい人のために変わりたいと思うとき、変わるために必要なのは、知識です。本を読んだり話を聞いたりして勉強し、知識を得ることで、ふわふわしていた想像力に芯ができます。単純に「知らなかったことを知る」のは、とてもつよいです。

距離をとるのは技術、変化するのは知識、と書いたのは、単にわたし自身がそう思いたいからです。生まれつきの性格だとか性質などの変わらないものと、後から変えられるものの区別をするとき、思いやりをもって人と関わることや、他人を尊重することは、後天的に技術と知識で得ることができる、変わることができるものだと思いたいからです。


今までの日常やあたりまえだったものがなくなってしまった今、変わらなければいけないのは確かで、すこしずつでもやり方や考え方を変えなければいけないのだと思います。

しかし、変化は必ず痛みを伴います。急な変化が得意な人もいれば、ゆっくりしかできない人もいます(わたしも時間がかかる派です)。

今は、とにかく他人と比較しないこと、他人を尊重することを忘れないで、この困難の波にのみこまれないように、長い目で見て、焦らずそれぞれいきましょう。

わたしもグズグズと考えて(いつものこと)、はじめるのに時間がかかっていますが、自分ができることで誰かの役に立てることをやりたいなと、準備しています。またお知らせしますので、お楽しみに!

それでは、また。


あ、想像力について、相手を大事にすることについて、過去に書いたnoteを置いておきます。


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