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山登り人生VOL295冷たさにベソかき退却稲星山

1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始めもう直ぐ1年、
今回の投稿になりました。
私36歳。奥様36歳、長女11歳、長男10歳、次男6歳の頃の山登りです。
昭和60年度の山行は28回56日と月2回ペースになった。

この年7度目の子連れ登山は久住に出掛けましたが、十分でない装備に悲しい目に遭わせました。
長男は今も、この時のことを知っていました。

No413既に冬の稲星山 

昭和60年11月23∼24日 
T先生夫妻、M仕立人、S親子、長男・次男と私
23日佐世保14:30⇒20:00沢水キャンプ場
24日出発→展望台→出水平→稲星越手前引き返し→キャンプ場⇒
  宝泉寺(入浴)⇒日田⇒22:00佐世保

ボッカ訓練の月例山行は参加者なく中止となった。
天気次第で決めようと23日の朝を迎えるとT先生より電話が入った。
天気回復しそうだし昼から久住に出掛けようとなった。
こちらは家族サービスと決め息子二人を連れていくことにした。
コースはT先生に一任。
御船山でボルダーを楽しんだS親子を乗せ久住に向かう。
佐賀平野では熱気球世界大会があっており、珍しいものを見学できた。
久住南登山口を過ぎて夜8時頃かに沢水キャンプ場に着いた。
ロッジは8月末に閉鎖されており、その軒下に車を乗り入れた。

24日夜中に雨も降り、天気は良くなかった。
風が強く寒い。
ガスもかかりハイキング気分は吹っ飛んだ。
雨は降りそうにもなく出発するが耳が冷たい。
草原を横切る林道に出て、直ぐ展望台に着いた。
展望は良いようだが、今は寒くてモクモクと歩くだけだ。

子供達も黙って着いて来る。
暫く林道を辿って右に山道に入る。
この日記を書きながら地図を見ているが、
このルートは本山登山道のようだ。
標高1,100m付近に本山の滝と記してあるが、現地では見なかった。
出水平、最後の水場で小さな沢水が流れている。
長男は全く元気なく、ベソをかいている感じだ。
彼の靴は破れて指先が見えていた。ガンバレと励ましながら登り続けた。

高度が上がるにつれ、霧も濃くなり風も強くなる。
強い風に樹々に着いた霧が雫となって雨のように落ちて来る。
私の靴の中も水が沁みて来て、
その冷たさが分かり私達親子は引き返すことにした。
「下るぞ。」と言ったら二人は安心したようだ。
次男は濡れた手袋で手はかじかみ岩も掴めなかった。
早く引き返してよかった。
林道まで戻ると風も収まり、視界も利くようになっていた。

稲星山はまだ雲の中、あの中は寒かったなあと息子達と話ながら下る。
草原に出ると二人は走るように、ヒロ君が待つ車に戻って行った。

T先生らが戻るにはまだ時間があると昼食の準備をしていると、
1時間程で戻って来た。
山はもう冬だった。
山頂は諦めて戻って来たのだ。
秋の気分が抜けていない私達を、山は寄せ付けなかった。

帰りは今はない宝泉寺駅の薬局近くに綺麗な温泉があるとの情報で、寄り道して汗を流した。温泉は薬屋さんの経営だったようだ。
 


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