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山登り人生VOL299雲仙三山縦走と三社巡り

1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
シリーズ「山登り人生」は昨年3月29日から始めもう一年経ちました。

ブログ自体は2021年9月1日から始め今回で951日連続投稿になりました。
私36歳。奥様36歳、長女11歳、長男10歳、次男6歳の頃の山登りです。

昭和60年度の山行は28回56日と月2回ペースになった。
一般募集の月例山行はマイクロバス利用が多かった。
私は会長車で同行し会長付きで行動する予定であったが・・・。 

No417雲仙三山縦走と三社巡り(1月月例山行)

昭和61年1月19日
Y会長他10名、一般16名、計26名の大部隊

佐世保7:30(マイクロバス・会長車)⇒仁田峠11:00→国見岳→国見分れ12:30→13:30鳩穴14:00→普賢池14:35→普賢岳15:00→アザミ谷15:50→仁田峠16:10⇒20:25佐世保

今はない普賢池。平成新山となっている。
噴火前概念図

前日の悪天も回復し実施となった。
ここ数日の気温上昇で仁田峠には雪もない。寒さも感じない一日だった。

本隊は上記の行動です。私は会長付きとして別行動でしたが、

のんびりしていると無線連絡が入りサポート要請が入ってきた。
体調不調の一般参加者二人をサポートするため本隊を追いかける。
妙見岳からは雪道となるが、合流して国見分かれまで同行し本隊が国見岳往復して戻るのを待った。
一人は本隊に合流したが、もう一人と一緒に仁田峠に戻った。
昼食後、もう一人の方も元気となり、アザミ谷から普賢神社に向かい普賢岳山頂で本隊と合流した。本隊は再度霧氷沢に向かい普賢神社へ。

二人でアザミ谷を廻って本隊の到着を待ち、一緒に仁田峠に戻った。

 10日後の1月29日スペースシャトル「チャレンジャー」発射直後に爆発。

 

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