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1976年ヨーロッパ山旅㏌よっちゃん出国二日目ボンベイからジュネーブへ

7月17日(土)雨。ボンベイからテヘラン経由ジュネーブへ 
現地時間0時40分にボンベイに到着し16時間20分の飛行機の旅が終わった。一旦入国となるが手続きに手間がかかる。通関担当とグループリーダーの交渉が難航している。気温28度、湿度も高く身体全体から汗がにじみ出る。3時間も手間取った。初めての外国インドは貧しい国に感じた。旧式のダットサンが走っている。タクシーはメーターが車外にあり面白い。ホテル差し回しのバスで空港前のセントラルホテルに向かう。(現地時間3時40分)

17ボンベイ セントラルホテル

ホテルは大円形の建物で外観は見栄えはしなかったが建物内は素晴らしかった。玄関やロビーには正装のボーイが立ち、慣れていない私は面食らった。グループリーダーからホテルでの諸注意があった。人を信じないこと、ザックなどは良くパッキングしておくことなど。部屋割があり東京からのお客と同室になった。ヨーロッパは二回目で今回はスキー目的と言っていた。風呂で疲れを癒したがお湯は薄茶色をしている。外国での生水は厳禁のようだが、特にインドではと注意を受けた。同5時にベットインしてモーニングコールで10時に起床した。

ホテルのコーヒーショップで朝食(パン1枚-紅茶-スープ)を済ませ出発までホテルの外をブラついた。生暖かい風が吹く。周りは殺風景で建物は少なく、道路は穴ぼこだらけである。少年達がワンルビーと要求して来る。12時フライトの予定が遅れており同11時過ぎにホテルを出た。8ミリカメラを回すが子供達や大人にも撮影は気を遣い遠慮することが多かった。

17ボンベイ

風強く時折雨。搭乗機がまだデリーから到着していないとのこと。ボーディングナンバーが決まらず通関できないらしい。出国手続きでは8ミリカメラが珍しがられた。

エアインド129便、同13時10分離陸した。ボンベイには12時間滞在したがあまり居心地は良くなかった。機内にはもう日本人スチュワデスは居なかった。早速昼食が出て来る。鶏肉にポテト、豆、サラダにパン。ビールを注文1缶1ドル。おつりは英貨で20ペンス4シリングいただきいささか驚く。再び飛行機の旅が始まった。一路テヘランに向かっている。日本ではもう夜であるが、上空はまだ昼である。サバクの上を飛んでいる。運動場の水が引いたような景色が広がっていた。

17テヘラン空港 (3)

17テヘラン空港

現地時間15時30分テヘラン空港に到着。ボンベイから3時間50分のフライト。テヘランではトランジットパッセンジャーになることはできなかったが、タラップから降りることは出来た。

17テヘラン空港 (2)

気温は何度あるのだろうか燃えるような暑さである。撮影禁止であった。軍隊優先のこの空港で129便はなかなか離陸できない。機内温度は鰻上り、人間ボイルとなりそうである。1時間50分のサウナより解放され最終目的地ジュネーブに飛び立った。同17時20分(日本時間22時20分)

夕食の後、8月13日帰国便の最終確認が行われジュネーブ中央駅(コルナヴァン駅)の集合場所が示された。

機内メニュー

帰国時集合場所

現地時間20時ジュネーブ到着。(日本時間4時で時差8時間) 予定より4時間遅れて39時間余りの長い長い飛行機の旅が終わった。香港、バンコク、デリー、ボンベイ(入国ホテル泊まり)、テヘラン経由の長い旅だった。小雨に濡れるジュネーブ空港、ネオンがくっきり夜空に浮かぶ。皆さん疲労の色は隠せない。電光掲示板で今まで日本時間だった腕時計を現地時間に合わせる。入国手続きは簡単に終わった。

予定だと17日中にシャモニ到着であったが、今から向かっても22時頃となり初めての者にはどうにもならずツアー客全員がホテルグレネルに泊まることになった。同21時30分着。

12∼13人の大部屋で一泊朝食付き13フランスフラン(FF)約1,700円と割安である。夕食なしだったので両替して近くのカフェに入った。両替60ドル=141スイスフラン(SF)≒18,000円)

17ジュネーブ ホテル

注文もどうにか出来た。コールドドックとビールの軽食。テレビではモントリオールオリンピックが放送中で多くの客が観戦していた。疲れており早くホテルに戻り就寝した。同23時

本日の支払い1ドル、1ルピー、16FF。

次回は7月18日シャモニ入りを投稿します。




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