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山登り人生vol152尾鈴山矢櫃谷遡行

30歳。長女5歳、長男3歳。
昭和54年度、30代の始まりはヒマラヤ遠征断念から始まりました。
年間14回33日の入山と回数は大きく減少しました。
第3子目の妊娠がわかり山登りも少なくなったようです。
沢登りも久しぶりの遠出で尾鈴山まで出かけました。

No271尾鈴山矢櫃谷遡行


昭和54年8月11~14日 
T夫妻、K、Y、Mと私

11日晴れ
  佐世保17:30⇒阿蘇⇒高千穂24:00⇒
12日晴れ
  延岡1:45⇒日向2:30⇒4:19松尾ダム・矢櫃谷林道入口で仮眠 起床7:00     
  出発8:40⇒植林小屋跡9:00→矢櫃谷取付き9:20→へつり5m→1回目泳ぐ
  10m10:00→1堰堤10:30→2堰堤→3堰堤(最初の枝沢左)11:00→枝沢右1:30→
  枝沢左滝18m11:50→枝沢左滝40m12:00→2回目泳ぐ10m12:30→徒渉連続
  →淵(中食)13:10→枝沢左滝・釜13:20→ケルン逃げ道あり14:00→枝沢右
  14:00→浣腸形の大きな釜3回目泳ぐ14:30→滝3m左へつり15:00 
  河原に幕営
13日晴れ 起床6:00
  出発7:50→へつり10m7:55→4回目泳ぐ滝10m8:20→黒岩滝15m9:25→
  滝(倒木利用)9:50→5回目泳ぐ5m→倒木帯10:10→
  滝3m(落水の裏側から)10:30→(中食)6回目泳ぐ5m11:30→2段の滝12:00→
  出合(ワラジ着脱)12:25→壊れた橋(林道終点・遡行終了)13:10→
  営林署車に収容される14:20⇒矢櫃林道入口15:20⇒16:00石河内17:00
  (昼食)⇒19:00尾鈴山駐車場・山の家  幕営
14日晴れ 起床6:00
  出発7:00→矢研の滝7:20→山の家7:40→駐車場8:00⇒尾鈴林道⇒
  橋8:20→9:30尾鈴山頂9:45→10:15橋12:00⇒都農⇒美々津⇒椎葉⇒
  内大臣18:00⇒松橋⇒八女⇒24:00佐世保
ここ数年、お盆休みは沢登りと決めているが、
今回は少し遠出の宮崎の沢となった。

11日佐世保出発

Y氏が8人乗りを購入したので1台ですみ運転手5人と楽勝である。
尾鈴山は宮崎県北部に標高1405mで聳える重厚な山で、
北麓の坪谷で生まれた若山牧水は
「ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ 
  秋もかすみのたなびきてあり」と詠んでいる。
神武東征の伝説を秘め、大小30余の素晴らしい瀑布群(天然記念物)、
急峻美麗な渓谷、大森林は登山者を惹きつけるに充分な素晴らしさである。

今回の矢櫃谷は、尾鈴山の西に位置し延長7km、標高差1,200mの急峻な谷で、大小の滝をかけた美しい渓谷である。林道開発が進んだお蔭で入渓が楽になった。

佐世保からは一番遠い山である。

九州縦貫道を南下し高森・高千穂を経由して延岡へ。
太平洋岸に出たのが8時間後である。
酷道10号線を日向まで南下して、ここより山手に向けて進む。
深夜のトライブである。
坪谷を過ぎると人家が少なくなり、目印のバス停が出てこない。
一度間違えたが御前4時10分松尾ダムに到着できた。
矢櫃林道入口に車を止めツェルトを張り仮眠する。 

12日矢櫃谷一日目

ダンプが通る音に起こされて7時起床。
食事を済ませ身支度して車に乗り込む。
矢櫃谷は松尾ダム(標高200m)に流れ込んでいるがダムから直接取り付くことができない。
一旦、林道を標高340m地点まで上がって25,000分の1地形図上の矢櫃集落(現在は判りにくいが跡地だけは残っている。)より谷に下ることになる。

判りにくい小屋跡も直ぐ見つかり、9時車を後にする。
下るのも立派な踏み跡があり、標高差140mの急斜面を20分で谷底に下ることができた。
松尾ダムの貯水がここまで上がってくる。
いくらか水嵩が減っているようである。

ネットより借用。平成10年の矢櫃谷

9時35分遡行開始。
ヘツリ5mの徒渉で始まり、後は単調な河原。
2~3回蛇に会い嫌な感じがする。
右岸に水量の少ない20m、25mの二つの滝が現れる。
正面は袋小路のような1m滝で釜がトロのように長くなっている。
早々と泳ぐ箇所が出て来てK君が泳ぎだしたが、
滝を登れず引き返してきた。
泳げない私とT先生夫人のため
トップY氏はザイルを着け泳ぎ右岸から上がる。
滝上にザイルを固定し泳げない二人は、これを積極的に利用する。
この間、MとK君は左岸をヘツリ上がる。

記事の該当箇所かははっきりしない。

暫くして堰堤に出会う。単調な徒渉を交えて進むと二つ目の堰堤。
ここで渓流釣りを楽しむ3名の福岡グループと会う。
三つ目の堰堤上で大きな支流が右岸より入ってくる。
堰堤は三つとも左岸を巻き上がる。

ゴーロを暫く進むと左岸に枝沢、右岸に18m滝、40m滝となり、
本流は6mの魚止め滝で大きな釜を持っていた。
この滝は右岸40m滝との間のルンゼを利用して巻き上がる。
暫くしてトロとなり、膝から腰まで入る渡渉の後、最後の10mは泳がなければならない。
ポーズをとりながら遡行するMを写真に撮り、私も例の要領で泳ぐ。

ネットより借用。平成10年矢櫃谷の滝。記事との関連はなし。
ネットより借用。平成10年矢櫃谷の滝。記事との関連はなし。

腰までの深さのトロがなおも続く。
左岸の方に大きなトロがある右岸の岩場で中食を摂る。
Mは竿を垂らすが全く釣れない。人影がする所では釣れないのだ。

右岸に枝沢、本流の小さな釜は左岸を通り、なおも徒渉の連続となる。
右岸にケルン、林道に逃げられると思いながら遡行を続ける。
再び逃げ道らしきものを見つける。
左岸から枝沢が入り明るい場所で、御祓いをした跡であった。

平凡なゴーロの後、トロとなり、倒木を越えて進む。
浣腸形の釜を持つ3m滝で、釜は4m程の深さの広い立派なものであった。
どうしようと顔を見合わせる。
泳げない私は何も言うことはない。
M・K両君が尻込みするのをよそに、
いたって元気なY氏は泳ぎ出し右岸から登った。

記事の該当箇所かははっきりしない。

こんな深い釜は泳げない私には気持ちが良いものでなかった。
大物が終わったと思うと再び釜を持つ滝が現れた。
これは右岸をMとY氏はヘツリながら登ったが、逆層で他の4名は右岸を高巻きして滝の上に出た。
出たところの右岸が林道まで伐採(下山時に判ったこと。)してある明るい河原であった。

ここで今日の行動を終わることにした。
Mはヒルにやられた。

幕営地にて

K君が考えた夕食の少なさに小言を言いながらも沢の良さに「良かった。良かった。」とウィスキーを傾ける。
ほろ酔い加減でツェルトにもぐり込む。

13日矢櫃谷二日目

7時50分出発。
昨日は南九州大学の記録を確認しながら行動できたが、
今日はこの記録が高巻きしていることもあって判らず25,000分の1地形図での遡行となった。

出発して直ぐ左岸をヘツリ、扇形の釜を10m泳ぎ、
時々倒木を越えながら進む。
本流は何度か左右に大きく曲がる。
右に直角に曲がるトロは右岸を腰までの徒渉で進むと、
右岸より黒岩の滝15mが懸かり見事である。暫く見惚れる。

時々、胸までの徒渉を交えながら進むと
滝4mが現れ、1本の倒木に馬乗りになって這い上がる。

我々に驚いたモグラが岩の上をウロウロしている。
今日二度目の泳ぎは落口の登りがシャワークライミングになりそうで、
濡れるのは嫌とは面白い。
倒木帯を乗り越えると滝3mが現れる。
Mはまたヒルにやられる。T先生も太腿をやられたようだ。
この滝も釜を持っており
Y氏は泳いで落水の裏側から右岸に上がってバランスで乗り越えた。
他は左岸を巻いた。

記事の該当箇所かははっきりしない。

谷も明るくなり終わりかなと思うがなかなか終わらない。
小さなパンで中食を摂り再び遡行開始。谷も狭くなった気がする。
5m釜を泳ぎ暫くで2段6mの滝が現れる。

記事の該当箇所かははっきりしない。

1段目の滝には小さな釜があり深い。
Y氏は右岸をヘツリ、流れに足を入れた途端、釜の中にスリップ。
2回水あびして滝を上がる。
2段目滝は乗り気でないMをY氏がけしかけて泳がせる。
滝は左岸を登る。MにY氏が続くが、他は右岸を巻き上がる。
メガネやコンタクトは、シャワークライミングが苦手である。

もう随分と上流になったので出合に注意して進む。
本流を間違え右俣に進むと後が大変である。
間違えやすい標高630m出合を確認し通過すると沢も小さくなりワラジを脱いだ。

沢が樹木に覆われて前方が広がり明るくなると、
どうにか原型を留めた橋に出会った。
橋上に上がり上流を確認するが面白そうでもなく終了とした。

終了の橋上

地図上の尾鈴山への登山道は藪に覆われており、
ここからの登山は止めて下山することにした。
ヤブが繁った林道跡を暫く下ると利用されている林道に導かれた。
長い長い林道、アブに悩まされながら1時間程下ると
我々を探していた営林署の人と会って、
K君とT先生夫人はひと足早く車で下った。
他はK君の迎えを待って林道入口に戻った。
林道12kmを歩いていたら後2時間はかかっていただろう。

営林署の人は、お盆休みの林道閉鎖施錠のため来たが車が進入していたので、我々を探していたのである。
入渓の際は警察か営林署への届を忘れずにと指導を受けた。

やさしい方で板谷谷も面白いですよと教えてくれた。
親切な営林署の方と別れ、松尾ダムに沿って南下し南麓の町々をとおり、表登山口の尾鈴山の家に向かった。

14日矢研の滝と尾鈴山登山

T先生夫妻とK君は休養。
他は矢研の滝を往復して尾鈴山に登った。

尾鈴山頂
令和3年12月の矢研の滝

12時帰路につき予定とおり24時会長宅に帰着した。
疲れ果てて解散となった。

 

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