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山登り人生VOL329年度の変わり目、国体予選と黒髪山開き

1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
2023年3月29日シリーズ「山登り人生」の投稿を始めもう一年経ちました。ブログ自体は2021年9月1日から990回超の連続投稿を継続しています。

38歳頃の山登りです。
62年度の山行は20回・38日入山と前年度とほぼ変わらず、
ビックな山行はなくなり
恒例的行事への参加や九州内での山登りが主体となりました。

長男の少年ソフトクラブに次男も顔を出すようになり、
保護者会からも益々離れないようになります。

アマチュア無線交信症状も重症となり
大きなアンテナを屋根に上げたりと投資も増えてきました。

昭和62年度最後の山行は

No442国体予選(多良山系)です。 
昭和62年3月14~15日 多数
14日出発14:00⇒15:00大村市コミセン(県岳連理事会)⇒16:00黒木公民館
15日出発7:00→八丁杉8:00→金泉寺→経ケ岳10:00→12:00小嶽小屋・公民館で閉山式13:30⇒無線仲間小林宅・帰宅16:00

 次男にファミコンを買ったり組み立てたりでバタバタして大村に向う。
県岳連理事会に出席して黒木に向う。
沖縄国体では山岳競技は行われないが、
九州国体は実施されることになり高校生の予選会もハリが出てきたようだ。

15日、コースは例年通り五家原岳から経ケ岳間で行われた。
私は八丁杉から金泉寺に上がりポイントを設置しながら経ケ岳へ。
天気も回復し絶好の日和となった。
13時には終わり帰佐し、
次男交通事故の示談相談や
職場同僚お姉さまの
アマチュア無線アンテナ調整等を手伝って帰宅しました。 

昭和62年度、恒例行事への参加からスタートします。

No 443毎回参加の黒髪山開き 
昭和62年4月4∼5日 
Y会長、M社長、T先生夫妻、M、S女史、M仕立人、私と次男
4日自宅19:00⇒20:00竜門
5日山開き神事・出発10:00→牧の山→広瀬13:00→15:00山の家

竜門ダム

 昨夜は職場送別会で遅くまで飲み体調悪し。
それでも少年ソフト練習に顔を出す。
会仲間の集合に間に合わずマイカーで竜門に出向く。
10名は来るだろうとビールを買い込んでいたが、飲み手5名であった。
夜も更け寒いのを我慢して外で飲んでいた。
早くテントに移れば良かったのに。

5日、山開き神事に参加の後、登山大会の下見のため牧山新道を歩く。
青牧峠へ真っ直ぐ上がり牧の山へ。
これより新道を歩く。
まだ新道としてははっきりしていない。
竜門ダムに下り山の家に戻る。

4月19日は無線仲間で九重牧の戸峠までQSOのため出掛ける。
小林宅7:00⇒10:40牧ノ戸峠15:00⇒20:30帰宅
前日は井手、小林の3名でJF6ITM内山宅へ。
欧州方面とのQSOを見学。
19日はQXD、JLI、PYMと福永夫人の5人、車2台で牧ノ戸峠へ。
QSOを楽しむが思ったより交信できなかった。 

4月26日M医師の仲人でT君とK女史の結婚式。二次会はM医師宅で。

 

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