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山登り人生VOL267秋の八ケ岳単独行

1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始め今回の投稿になりました。
私35歳。奥様35歳、長女10歳、長男8歳、次男4歳の頃の山登りです。

昭和59年度の山行は19回、40日と回数は大きく減少しました。
仕事も浦頭引揚げ記念公園募金活動で超忙しかったし、
この八ケ岳行から長くせず実父の動脈瘤での久留米大学入院があったり、
義母のギブス生活、
義父の仕事手伝い100日間と人生でも稀有な時期だった。

 No385八ケ岳単独行 


昭和59年10月21~22日 単独
19日秋季合同慰霊祭を終え、直会を抜けて
特急寝台列車「あかつき」に乗車する。

20日昼から八王子での日山協海外委員会総会に出席。
21日途中抜け出し八ケ岳に向う。
  八王子11:06⇒小淵沢⇒14:56松原湖駅15:16⇒バス⇒16:00稲子湯→
  17:10みどり池(幕営)小屋より水購入1㍑50円
22日出発6:20→本沢温泉7:45→夏沢峠9:00→硫黄石室10:25(休憩料100円)→
  横岳11:10→赤岳石室12:30(休憩料200円)→赤岳13:10→中岳→
  行者小屋14:00→美濃戸口16:10⇒タクシー800円⇒茅野17:39⇒塩尻

八王子で開催された日山協海外委員会総会に代理出席の機会を得たので、
その帰りに八ケ岳に登ることにした。

小淵沢から小海線に乗り換え松原湖駅で下車したが、
鉄道沿線は紅葉の真っ盛り歓喜の声があちらこちから聞こえる。
国鉄最高地点の所では、汽車に向かって万歳している。
野辺山高原はヨーロッパ的風景がひろがり、
紅葉、雪の稜線、澄み切った青空を楽しんだ。
松原湖駅は無人駅だった。
稲子湯への最終バスは、稲子を過ぎると私一人になった。

稲子湯周辺は紅葉の盛りは過ぎていた。
天気は良いが風強くゴアの上着を着込んで歩き出す。
約1時間でミドリ池に着く。

陽はとっくに陰ってもう薄暗い。
湖畔のしらびそ小屋で水を購入しテント場へ。
テントを張る手が冷たい。
テントに入りホットするが、慣れない単独行寂しさが迫ってくる。
ビールを飲み気持ち良く横になったが、12時には目を覚ましてしまった。

水筒を湯たんぽにしたり、新聞紙を身体に巻いたりしたが、
寒さに負け眠れなかった。
寝袋を持参しなかったのを悔やんだ。
下弦の月が鋭く輝き、凍てる夜空が憎らしい。 

22日朝を迎えホットする。

夜明けとともに出発する。
ミドリ池の水面は4分の1程氷結している。
硫黄岳の火口壁が朝日に照らされ、
カラマツの黄金色と素晴らしい調和を見せている。

本沢温泉の上、湯川の露天風呂で顔を洗う。

夏沢峠を過ぎると雪の上を歩くようになった。
森林限界を過ぎると風がまともに吹き付け冬山モードになってくる。
今日は平日だが、女性二人が下ってきてその後も数パーティーと出会った。さすが八ケ岳、人気のある山と思った。

硫黄岳まで登ると横岳、赤岳の主稜線から阿弥陀岳、
それに大同心、小同心と一望できた。
白い雪と黒い岩肌のコントラストが、荒々しさを強調している。

富士山も見えました。

稜線から眺める東西高原の紅葉は絨毯を敷き詰めたような素晴らしさだ。
赤岳石室まで来ると余裕もでき石室で長めの休憩とした。
正面の赤岳登りは急な登りだ。

赤岳からの下りは走るように下り50分で行者小屋へ。
行者小屋から見る硫黄岳~横岳~赤岳のパノラマは、
離れがたいほど素晴らしかった。

70㎜映画のような迫力で迫ってくる。
別れが尽きないが、柳川南沢ルートから美濃戸山荘へと下った。

この秋一番の冷え込みで、一晩中眠れなかったが八ケ岳の素晴らしさを十分に堪能できた山行だった。

塩尻の町で夜行列車に乗ることにしたが、塩尻の町は何もなく、松本まで出るべきだったかと悔やんだ。

23日13時過ぎに帰宅する。 
11月になり1日親父の久留米医大入院で慌しくなった。
8日病院へおふくろと弟の3人出かける。
  17時頃、小倉へ。親戚を訪ね泊る。
9日7時病院着。主治医の説明を受ける。
  親父の病名は腹部動脈りゅう。高血圧、心臓が肥大している。
  妹二人も汽車で来る。
  手術は4時間ほどで終わり成功。
  後は血栓がどうなるかを看るとのこと。18時前に帰宅。
16日一般病棟に移る。

 

 

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