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山登り人生VOL254会長との九重行

1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始め今回の投稿です。
私34歳。奥様34歳、長女9歳、長男8歳、次男4歳の頃の山登りです。
昭和58年度の山行は32回、49日と回数日数とも大きく増加した。
大雪の九重にY会長と一緒しました。 

No370雪の九重山系中岳∼星生山 

昭和59年2月10∼12日 
Y会長ほか9名
10日 佐世保20:30⇒
11日1:30星生ホテル8:30→すがもり越11:30→12:30久住分れ避難小屋13:00→
  リングワンデリング→14:30池の避難小屋
12日出発7:30→中岳→久住別→星生山→11:10牧の戸峠11:50⇒
  12:10星生ホテル13:10(風呂)⇒長者原(昼食)⇒
  佐賀ドライブイン(夕食)⇒20:30佐世保 

M医師理事長宅に集まり記念誌発行の慰労会の席で、
「九重は僕も行くよ。」とのY会長の言葉に皆喜んだ。
久し振りの参加である。
星生ホテルに泊まって私達の山行を見守ってくれた。
食事など随分とご馳走になった。

12年前白口谷を退却した時、
法華院山荘で見守っていただいたことを思い出す。
「山は登らなくても、麓で眺めるだけで良いよ。」との言葉には
頭が下がる。

12年前(昭和47年2月の法華院温泉

会長他9名車3台に分乗して九重に向かった。
九重は例年になく大雪で1m以上の積雪である。
長者原~すがもり越の間は、
登山者が多くスキーを担いでいる人も目立っている。
久住分れから上部は、ガスが濃く避難小屋で様子を見るが回復しない。
ピークは諦め池の避難小屋に向かうことにした。
ここで今年もドジッテしまった。
久住分れを出発して着いた所は久住分れだ。
完全にガスっていてリングワンデリングをしてしまった。
数年前にも経験したが、注意してもこうなってしまう怖い山である。

2014年2月の久住山

何とか氷結した御池に着き安心したが、池の避難小屋が見つからない。
この積雪で雪の下だろうと冗談をいいながら
どうにか見つけることができた。

小屋の中にテント2張りを張り、
後はお決まりのコース延々と6時間も酒宴が続いた。
久し振り山の歌も出て楽しい夜だった。

飲み疲れ外に出るとガスは取れていた。
中岳・白口岳・稲星山がくっきりと浮かび上がり、
静かに東千里を包んでいた。トレース、足跡は何もない。

2014年2月の御池

 12日、期待した朝だったが、昨日より悪い。
ガスも一段と濃く、
下山と諦めたが中岳には空身で往復した。
ミヤマキリシマ群生地への立入禁止トラロープの御蔭で山頂に立った。

2014年2月時の中岳からの展望

久住分れまでは何とか戻れた。
西千里より星生山にどうにか登れた。
気温は高く、下るにつれ雪・みぞれとなり、牧ノ戸峠では雨となった。

2014年2月西千里手前から星生山を望む。

星生ホテルで会長の出迎えを受ける。
ホテルの温泉で汗を流し長者原で昼食。
帰路に着く頃は再び雪となった。
会長同行の山行は、決まったように御馳走になる。
佐賀でもドライブインで夕食をいただいた。
皆、遠慮せず高いメニューを注文する。
会長はいつもニコニコ顔だ。
軍資金は会長付き運転手Oさんが準備されている。

今回は山登りと言うより
「雪見て一杯。」池の小屋まで飲みに行った感が強い。

 ※2月8日久住山で単独行者の遭難騒ぎ。無事下山。

 

 

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