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山登り人生vol214創立30周年記念岩登合宿その6穂高よさらば

私33歳。奥様32歳、長女8歳、長男6歳、次男2歳
昭和57年度の山行は20回、36日と回数日数とも減少したが、10月家の新築で山登りの余裕はなかったのだろう。
3月例会、4月例会で記念岩登合宿の概要が発表となり、一般募集し7回のトレーニングで臨んだ合宿でした。
先発隊は9日から入山、本隊は11日から入山した合宿が終わりを迎えます。

No331創立30周年記念穂高岩登合宿(奥叉白BC撤収下山)

K女史(長崎市一般)の報告より
昭和57年8月10∼16日
M社長、T先生夫妻、T君、M、K、T女史、I、E、
K女史(長崎市一般)と私
09日先発隊出発
10日先発隊徳沢入り、本隊出発
11日先発隊屏風岩東壁登攀、本隊徳沢入り先発隊と合流
12日中畠新道から奥叉白BC設営
13日北尾根から前穂高岳山頂へ
14日本隊奥穂高岳往復・四峰正面壁(北条・新村ルート)・東壁Aフェイス
茶臼の頭・奥叉白池花畑散策

新村橋

15日BC撤収下山
  5:00起床
  T先生夫妻下山6:00
  本隊BC撤収出発7:00→中畠新道取付8:40→9:55徳沢10:15→
  12:00上高地13:30(マイクロバス)⇒15:50松本駅
  16:30信州会館23:00・松本駅23:43(特急ちくま5号)⇒

梓川

16日帰着  
大阪7:00新大阪7:37(新幹線)博多11:58(特急みどり9号)⇒14:08佐世保 

E氏の報告より
15日ボッカの下りも楽でないが、
登りで気づかなかった木や花を確認しながら下ることができた。
山行を終え反省させられることは、
トレーニング不足で、
特に岩場の練習不足と装備も持たず参加し大変迷惑を掛けました。
帰りの車中は大半眠りながら、帰郷後2~3日は驚くほど眠りました。 

T女史「穂高からの花だより」報告より
15日早々にテントをたたみ下山。
ザイルがズッシリと重い。
登りでは気づかなかったが、穂高には以外とシャクナゲが多い。
急に地元多良岳が恋しくなり、一刻も早く佐世保に帰りたいと思う。
これまで山に登って、こんな気持ちになったのは初めてである。
昨年春の剣岳のような強烈な印象はなかったが、また楽しい思い出が一つ


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