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山登り人生VOL276県岳連会長退任23年間お疲れ様

1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始め今回の投稿になりました。

私36歳。奥様35歳、長女10歳、長男9歳、次男5歳の頃の山登りです。
昭和59年度の山行は19回、40日と回数は大きく減少しました。

仕事も超忙しかったし、私生活でも
実父の動脈瘤での久留米大学病院入院、義母のギブス生活、
義父の仕事手伝い100日間と人生でも稀有な時期だった。
アマチュア無線開局JG6RANはCQ,CQに夢中となっていた。

県山岳連盟の会長でもあったY会長はこの年度末で退任された。
昭和37年から23年間お疲れさまでした。

No393多良山系(国体予選)

昭和60年3月9~10日 
Y会長、T、Sと私他

09日、会長宅13時。
会長と一緒に県岳連理事会に出席。
昭和37年よりの会長職をTさんに譲ることになった。
夕食はレストランで御馳走になり、小嶽小屋へ20時過ぎ着。

国体予選も成年男子の参加者がいない状態が続いている。
少年男子(高校生)は多数の参加があり、
国体が大きな目標になっているようだ。

10日予選コース:小嶽小屋→五家原岳→金泉寺→経ケ岳→小嶽小屋

T君と二人、ポイント設置のため朝6時に出発する。
八丁杉から西野、金泉寺、経ケ岳へと設置しながら歩く。
経ケ岳で暫く休んだ後、つげ尾へ下る。
この急な下りは凍っていて歩き辛い。
選手達は7時出発である。
1人1分間隔でスタートするが、20kgの負荷で五家原岳から金泉寺~経ケ岳~小嶽小屋のコースとなっている。

別競技会での高校生

一番手は3時間27分の驚くべきタイムでゴールした。
1~3位は長崎北陽台が男女とも独占した。
成年女子は北松山岳会から1名が参加、高校生に負けず頑張っていた。
成年男女はなかなか選手が見つからない、寂しい限りである。

14時からの閉会式。
Y会長は、県岳連会長として最後の挨拶をされた。
ご苦労様でした。

 

 

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