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ヒマラヤ7000m峰への挑戦と挫折⑦C1設置

キャラバン5日目の8月7日にベースキャンプ(BC)入りし登山活動が始まりました。BCからの荷揚げキャンプ1設置、キャンプ2のルート工作について、 
「1997年長崎県山岳連盟サトパント峰学術登山隊」の登頂断念記から投稿します。

私は、BC入り時点で高山病にかかっており、ここからの報告内容に殆ど関わっておらず寂しい報告となります。
ここからの内容は、記録担当隊員(高体連所属)二人の報告を参考にしています。
個人での写真も、登頂断念記への写真掲載も少なく寂しい投稿内容になりますが、登山活動が厳しかったものと推察します。

8月8日(晴れのち雨)C1へ荷揚げ

キャンプ1(C1)に向けての荷揚げ活動が始まります。
荷揚げは隊員と高所ポーターで行います。
バスキパルバット6792mからの支稜を廻り込み氷河への下りガレ場がちょっと難しい。
廻り込んだところで初めてサトパント峰を目にします。山頂が台形に見え、独特の山容を持つ美しい山です。(タイトル写真)
氷河上は散らばる石を積んで目印とします。岩下の氷が溶け残ってテーブル状になっているのが面白い。
C1予定地は標高5200m。6人用テントを張り一緒に荷揚げした装備をデポ(保存)してBCに戻ります。
私は休養し高山病回復に期待しましたが、記録を取るのも煩わしい体調でした。・・・と思います。

いつの写真かはっきりしません。BCには間違いなし

8月9日(晴れのち曇り)C1設置5,200m

S隊長に私とMU隊員以外は荷揚げしCIへ移動。
気温が上がっているのだろう。昨日あった雪が殆ど溶けて、氷河上の石が姿を出している。谷間なので雪崩や岩崩れの音が雷鳴のようにこだまする。
12時到着。テントを設営し、共同装備を整理する。午後からは氷河の氷を削り、その周りに石を積み上げて便所と台所を作り上げる。
C1からはコック(BC滞在)も居らず、ジフィーズなどの即席ものが中心となる。リエゾンオフィサーのロイはヒンドゥー教徒のため肉入りドライ食品の振り分けが結構面倒であった。
氷河上を水が流れているので、雪を溶かして水を作る必要がないのは助かる。
私はBCで休養。

ベースキャンプ周辺

8月10日(晴れのち曇り)C2ルート工作

FJ・KU隊員二人とリエゾンオフィサーのロイは、C2へのルート工作に出発する。
雪に隠れているクレバス(氷の割れ目)に注意しながら氷壁下に辿り着く。下部は脆く崩れやすい岩が露出している。
ロックハーケンを打ち込みフィックスロープ(確保用のロープ)を張っていく。ロープの長さは50mに揃えてある。4ピッチ(ロープ4本)進んだところで、下が完全な氷となる。
本日はここまでとしてC1に下る。
ルート工作以外の隊員は、荷物の整理をしその後、C2ルートへのスノーバーを氷河終わりまで荷揚げする。

C2途中までの荷揚げに出発時の写真と思われる。

私は二日遅れてS隊長、M隊員と共にC1入しました。
その後、S隊長とMU隊員はポーターへのC1荷揚げの指示もありBCに帰ります。

8月11日(晴れのち曇り) C2ルート工作

6時起床。天気良くなく暫く様子見のあとKU隊員とロイ、高所ポーターの三人でルート工作に出発する。昨日の終了点まではユマール(確保器)で登る。最初は穏やかだった斜面も次第にきつくなる。先を行くロイの靴底が見える角度だから75度はあると思われる。12本爪アイゼンを氷に蹴り込み、ピッケルとアイスハンマーを交互に打ち込み高度を上げて行く。アイスピトンを打ち込んでフィックスロープを固定する。6ピッチで氷壁を抜ける。ここからは雪が深い。1ピッチ進んだところでスノーバー70cmを打ち込み固定する。
今日はここまでとしエイト環で確保しながら下降する。途中ロイが足を滑らせクレバスに落ちた。3mほどの深さだったので大事には至らなかったが、抜け出すのに一人では無理だった。
C1に戻ると緊張感がとけてどっと疲労感が沸きあげってきた。そういえば昼食も摂っていなかった。
私はC1入りしたものの皆の助けになる活動はできなかった。迷惑かけないようするので精一杯だったと思う。
S隊長は再びC1入りし、夕方には今後の戦術の話し合いが行われた。

全く出番がない私です。この登頂断念記の出版は遠征終了から13年後でした。私自身も原稿出していないし厳しい結果の遠征でした。

次回も隊員からの報告を基に、登山活動を投稿予定です。


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