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日本百名山㏌よっちゃん25座目五竜岳、26座目燧ヶ岳

40歳、元号が平成となった5月に八方尾根から唐松岳に登り翌日五竜岳まで縦走して一気に遠見尾根を下った。マッキンレー遠征に参加できずの春山でした。翌年、尾瀬を訪ね燧ヶ岳に登っています。

その後は、いずれの山も近くまで行き眺めることは出来ても登るまでには至っておりません。後立山全山縦走との想いはあったんですが・・・(涙) 

尾瀬はまだまだ機会がある気がしています。Noは山行ナンバーで1969年9月23日からの通し番号です。

25座目No488五竜岳

『北安曇から後立山連峰を眺めると、高さは特別ではないが、山容雄偉、岩稜峻厲、根張りのどっしりした山が眼につく。それこそ大地から生えたようにガッチリしていて、ビクとも動かないと言った感じである。これが五竜岳だ。北は大黒の岩峰を経て唐松岳へ続き、南は八峰キレットの瞼に寄よって鹿島槍岳に連なり、昔は後立山縦走中の難関であった。・・・』 新潮文庫「日本百名山」深田久弥著 五竜岳冒頭の引用文です。

一度だけ登りました。その29年後の夏には白馬岳から唐松岳に縦走しその威容に再会できました。

唐松五龍広域

1989(平成元)年5月2∼7日 3名
5/3 吹田⇒中央道分岐⇒松本⇒豊科IC⇒17:30白馬
5/4 ケーブル駅⇒上の駅7:50→八方池山荘→ケルン→13:20唐松山荘前幕営→唐松岳→17:05テント
5/5 出発6:30→最低鞍部→五竜山荘→五竜岳10:30→11:00五竜山荘11:30(ラーメン)→遠見尾根→15:15テレキャビン駅⇒八方尾根登山口民宿5,500円
5/6 出発⇒滑川IC⇒北陸道                      
大阪までは順調に走ったが大津までのいつもの渋滞に続いて、羽島~小牧間、中津川と渋滞が酷かった。長野道も豊科ICまで行ったのが不運の始まりで僅か数キロを2時間近くもかかってしまった。一般道に下りても混んでおり、予定より随分と遅く登山口の白馬に到着しました。初めての後立山北部の山域です。駐車場に幕営しましたが夕食準備で危うくテントを燃やすところでした。やはりガソリンコンロは最新の注意が必要です。
 4日、始発のリフトで八方尾根に向います。

1989年八方尾根駅

眺めを楽しみ登ります。

1989年八方尾根より唐松岳

登る先には唐松岳、右には白馬三山や不帰のキレット、左には五竜岳を眺めながらの登山です。

1989年八方尾根より主稜線を

1989年五竜岳遠望(八方尾根より)

仲間のバテ具合を気にしていたら、こちらがバテバテでテン場到着となりました。テントを張り少し落ち着いてから唐松岳を往復しました。

1989年唐松山荘

唐松岳山頂から白馬岳方面の展望です。

1989白馬方面を

1989年唐松岳小屋付近

 5日調子はもう一つですが快適に縦走し五竜山荘へ。調子が悪いKを残し五竜岳山頂に立ちました。

1989年五竜岳への縦走路

五竜の登りはかなり急でした。

1989年五竜岳登り

剣岳が一段と迫って来ます。久し振りの雪山はさすがに良い。体調が良ければ更に良いのだろう。八峰キレットも大したことはないようでした。

1989年五龍岳山頂

五竜岳~鹿島槍ガ岳の展望が素晴らしい遠見尾根をバテバテで下りました。この日は民宿に泊まり疲れを癒しました。会費4万円、民宿2万円、計6万円。帰りはさすがに疲れ2箇所で仮眠を取りながら、高速道路で約18時間の旅路でした。

26座目No504燧ガ岳

『広大な尾瀬ケ原を差し挟んで東西に対立している燧岳と至仏山。燧の颯爽として威厳のある形を厳父とすれば至仏の悠揚とした軟らかみのある姿は、慈母にたとえられようか。原の中央に立ってかれを仰ぎ、これを眺めると、対象の妙を得た造化に感歎せざるを得ない。

尾瀬沼から燧岳をなくしたら、山中の平凡な一小湖に化してしまうだろう。昔、関東を奥州をつなぐ道の一つがこの沼のふちを通っていた。沼田街道と呼ばれるもので、上州の戸倉を最後として、会津の桧枝岐に出るまで、全くの深い山の中の道であった。その心細い山道の途中で、山と沼と両々相映発した美しい風景にめぐりあった旅人の心持は、いかばかりであっただろう。・・・』ここも新潮文庫「日本百名山」深田久弥著 五竜岳冒頭の引用文です。

深田著書には「ガ」がない「燧岳」となっている。国土地理院地形図には「ガ」があり「燧ガ岳」である。どちらが正しいのか?「ガ」がないのにも意味があるのかな?

図尾瀬

1990(平成2)年5月1∼6日 6名

5/2鳩待峠15:45(駐車場幕営)
5/3出発6:00→山の鼻→尾瀬ケ原→見晴→燧ガ岳13:00→尾瀬ガ沼→尾瀬沼山荘→三平峠16:00→大清水18:00(駐車場幕営)
5/4大清水ミズバショウ⇒谷川岳ロープウェイ⇒湯檜曽15:00(四阿屋で幕営)
5/5天神平往復⇒水上IC10:00帰路へ


4名で運転を交替し尾瀬の登山口へ。約1,400Km、約13時間で到着しました。6名は少しきつい。この連休は天気予報が悪かった。
3日、予報に反して快晴。鳩待峠から山の鼻に下り尾瀬ヶ原に入ります。バックは至仏山です。

1990尾瀬ケ原至仏山

夜間走行13時間でいささかお疲れモード。殆ど寝ていなく尾瀬ケ原から燧ガ岳登山はしんどかった。

1990尾瀬ケ原中間

山頂近くはかなりの急傾斜でした。山頂からの展望は抜群でした。

1990年燧ヶ岳登り

1990年燧ヶ岳

1990山頂から尾瀬が沼

尾瀬ガ沼への下りは尻制動で楽チンなはずですが、バテバテで沼尻へ。尾瀬沼山荘でウドンにありつけ皆元気を取り戻しました。大清水からタクシーで鳩待峠に車を取りに行き大清水に泊まることにしました。タクシー代5,080円。

1990年大清水ミズバショウ

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4日は予報とおり雨となり、谷川岳山麓への移動のみ。雨をしのぐ場所を探し半日ブラブラ、途中温泉で汗を流します。谷川岳ロープウェイはこの雨の中でもスキーヤーの姿多く駐車場は満杯。朝早く来ないと駐車できないようです。
5日雨が西から移動し各地に注意報発令、登山は諦めます。とにかく天神平までは行こうとロープウェイで上がってみましたが、登山は無理と諦めもつき帰路に着きました。

もう一度行きたい尾瀬ヶ原。ゆっくりと時間をかけて楽しみたい尾瀬です。

次回は27座目大台ケ原、28座目大峰山を投稿予定です。
 
 
 



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