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山登り人生vol212創立30周年記念岩登合宿その4奥穂高岳

私33歳。奥様32歳、長女8歳、長男6歳、次男2歳
昭和57年度の山行は20回、36日と回数日数とも減少したが、10月家の新築で山登りの余裕はなかったのだろう。
3月例会、4月例会で記念岩登合宿の概要が発表となり、一般募集し7回のトレーニングで臨んだ合宿でした。
主力が前穂東壁や四峰正面壁に、他のメンバーは奥穂高岳に向かいました。

No331創立30周年記念岩登合宿(前穂高岳から奥穂高岳往復)


K女史(長崎市一般)の報告より
昭和57年8月10∼16日
M社長、T先生夫妻、T君、M、K、T女史、I、E、
K女史(長崎市一般)と私
10日佐世保本隊出発
11日上高地から徳沢入り
12日中畠新道から奥叉白BC設営
13日北尾根から前穂高岳山頂へ
14日奥穂高岳往復・四峰正面壁・東壁Aフェイス

本隊奥穂高岳往復組

14日晴れのち曇り4:00起床
出発5:10→A沢取付6:00→終了6:50→前穂高岳山頂7:30→
8:55奥穂高山頂9:20→前穂奥穂分岐10:20(トラバース明神へ)→
A沢下降点11:30→終了12:25→13:10BC

前穂高岳山頂

T女史、「穂高からの花だより」報告より
Aフェイスに向かう二人を送り出した後、奥穂高に向かう。
A沢のコルにザイルをデポし、食糧と雨具だけの身軽さでハイキング。
私は隊の後方をヨッチラとコマクサを探しながら付いて行く。
前穂から奥穂にかけては、トウヤクリンドウの群生地、
淡いクリーム色に細い縞模様をつけて、
ガレ場の険しさとは対照的に優しく登山者を受け入れてくれる。

奥穂高山頂
奥穂高岳山頂より上高地を見下ろす
奥穂高岳側から前穂高岳を望む。

奥穂からの戻りは雲行きが怪しくなり始めたので、
前穂の頂上を避け中腹をトラバース。

分岐

トレースのないハイマツの中を、苦心しながら進む。
勢い余って明神まで下ってしまい、再びガレ場を登り返す。

明神岳を方面を望む

A沢をアンザイレンで下り、
お花畑から北尾根を眺めながらテントに戻る。
3㍑程あったウィスキーも殆ど底をつき、
あちらこちらで禁断症状が出始めた。
苦し紛れにソーダーラップをガブ飲みし、ビールを飲んだ錯覚に酔いながら長い夜を過ごす。
奥叉白、最後の夜は、K女史が持参した線香花火が色を添えた。

奥叉白池

F(私)・T組四峰正面壁

出発5:00→四峰正面壁(北条・新村ルート)取付6:30→T①7:00→
ハイマツテラス8:00→終了10:35→三峰11:55→
12:15前穂高岳山頂13:45→15:50BC
所感など詳しい記録は残っていません。

ネットより
ネットより
四峰正面壁。ネットより

東壁Aフェイス

記録がありません。Mと誰かがパートナーで登っているが(涙)

ネットより

T先生夫妻・E組茶臼の頭花畑散策

出発5:20→茶臼の頭5:40(花畑散策)→10:40BC(午後の散策14:20∼17:00)
21:00就寝
別途、投稿します。
 

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