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山登り人生vol38初めての四国・石鎚山

22歳、地元山岳会に入会して2年目。
同時期に入会したS君とT女史の3人で行った石鎚山でした。

No52石鎚山系縦走

昭和46年7月29日∼8月1日 3名
費用 5,800円
29日佐世保12:30⇒別府(車はデポ)19:30(フェリー890円)⇒
  高浜港23:40(タクシー200円)⇒松山駅23:50(緑地帯で寝る。)
30日松山駅4:17(国鉄360円)⇒西条7:16(バス190円)⇒西ノ川9:00→瓶壺13:35
  →瓶ケ森14:20→シラザ峠15:40→よさこい峠16:20→17:15土小屋
  国民宿舎下駐車場に幕営
31日土小屋4:20→6:40石鎚山天狗岳7:30(ブロッケンを初めて見る。)
  →二ノ森9:00→堂ケ森10:00→下の小屋10:45→
  →梅ケ市バス停12:55(タクシー180円)⇒
  ⇒渋草13:50(バス100円)⇒面河渓14:20→キャンプ場15:00
01日面河渓8:05(バス450円)⇒松山駅10:58(バス80円)
  ⇒11:20高浜港14:40(フェリー890円)⇒別府19:00⇒0:30佐世保

行動記録

29日出発・松山駅野宿 
出発が半日遅れる。
日田から先は悪路、工事中が目立ち待ち時間が多い。
湯布院から先は快適なドライブが続く。
車はフェリー発着所駐車場に留めておく。
関西汽船に乗り込む。下船先別に配部屋される。
横になりウトウトするともう松山高浜港である。
タクシーで松山駅に向かったが駅舎内には入れず、緑地帯に虫よけ薬を縫ってポンチョを被り横になる。
 
30日西ノ川・瓶ケ森・土小屋縦走
30歳にしてヒッピーの真似をしたとはT女史の話。
自分もこんな場所で寝たのは初めてである。
朝一番の高松行普通列車に乗り、寝不足を補う。
西条から西ノ川登山口行きのバスに乗り換えると直ぐ川沿いを走るようになる。ダム工事で道が変わっているようだ。
標高を増すわけではないが、
山は高く谷は深く渓谷となり目を楽しませてくれる。
下谷に着くと殆どの登山者が下車した。
ロープェイ利用で石鎚山を目指すのだろう。
終点で下車し民宿食堂で朝食を摂る。
佐賀県人のおばさんで親しみを感じられたようである。

令和元年11月時の軌道。石鎚山までは基本同じ。

車道を30分も歩くと登山道はジグザグの急登に変わる。
風もなくムンムンとする。
3時間も登ると素晴らしい景観が現れた。
氷見二千石原の入口、瓶壺で飲んだ水の味は忘れないだろう。

令和元年11月時の瓶壺。当時はここで美味しい水を飲んでいます。

瓶ケ森に立つと西側は氷見二千石原が広がり、
東側は深い谷となり絶壁になっている。
吹き上げて来る風が気持ち良い。
石鎚の岩壁が見えるはずだが霞んで見えない。
東に目を移すと伊予富士の姿が確認できた。

令和元年11月時の氷見二千石原。当時、石鎚山は見ていませんね。

車道を10分程で山道に入る。
子持権現の岩峰は巻いて縦走路は延びている。
シラザ峠手前でまた車道にでた。
登山道は稜線にあると思われたが自然と車道を歩いていた。
山肌からは豊富な湧き水が流れている。
着いたと思ったがよさこい峠で肩を落とす。
積乱雲が発達し日差しも強いが。風はひんやりして汗も引く。
ようやく土小屋に着いた。

土小屋までハイウェイが開通し、更に観光開発の魔の手は石鎚連峰の縦走コースをドライブコースに変えつつある。
土小屋と言うから山小屋があると思ったが観光地化していた。
幕営は国民宿舎前の駐車場(キャンプ指定地)でするハメになった。
高校生や家族連れテントが3張。遠くに瓶ケ森の姿が。
苦しかった登りを思い返す。
 
31日天狗岩で初めてのブロッケン
雲上の人を期待し早朝より出発する。
二の鎖が見える頃、昨日の瓶ケ森より深紅の太陽が昇り始める。
天狗の岩壁も赤く染まり威容を誇っている。
鎖場を過ぎると山頂小屋神社に飛び出した。

神社から天狗岩までは両方とも深く切れている。
面河側は樹木があり高度感はあまりない。
左東側は一大岩壁となっており、岩登りのメッカとなっている。
天狗岩に立ち面河の谷に目を移すと、
もう一人の自分が雲の中で手を振っている。
初めて見るブロッケン現象だった。

令和元年11月時
当時、天狗岳
天狗岳山頂

尻尾が白いツバメが岩壁を飛び交う。
時折見せる西ノ川の谷の深さや、遠い雲の連なりは、十分に満足した。
山頂小屋に戻り150円のコーラを飲む。
ここで全日空と自衛隊機の衝突ニュースを聞きビックリする。
二ノ森を通り堂ケ森への登山道は、熊笹と花、それに群がる蝶。
西側はなだらかな斜面で、東側は深い谷の縦走コースだった。
素晴らしいを連発しながら歩くが、
熊笹には朝露が付いておりズボンはびっしょりと濡れてしまう。

場所はっきりせず。
二の森より石鎚山を望む。ネットより借用。

堂ケ森からは梅ケ市に下りる。
ここもジグザグの連続で登りの苦労が目に見える。
この集落では蚕が飼われていて、繭を纏った蚕の姿は珍しかった。
ここを暫く下ってバス停に着いたが朝夕2便しかない。
店でタクシーを呼んでもらい渋草まで出る。
運転手は満州引揚者らしく佐世保と話すと浦頭に引揚げたと話がはずんだ。バスに乗り継ぎ面河渓に入った。
営林署が所管するキャンプ場を利用した。
渓谷で水遊びしているキャンパーが目立った。

痩せているね。50㎏を切っていたかな?

1日 帰路に着く。
8時のバスで面河渓谷を離れ松山にでる。
観光する元気もなく高浜港に向かった。
フェリー出航までかなり時間がある。
かつ丼一杯で2時間もねばり休憩した。
別府からの帰路は遠回りだがやまなみハイウェイ経由となった。
瀬ノ本高原から宮原・杖立から日田に出て、
日付が変わった時間に佐世保に戻った。
銭湯にも寄って帰宅し寝るのは深夜2時を廻っていた。

その後の石鎚山

12年後、冬の石鎚山に登るなど今回を含め計6回訪ねています。 
No 0367石鎚山∼由布岳 昭和58年12月30日∼1月2日 4名
No 0416石鎚山∼剣山 昭和60年12月30~4日 6名
No 0647石鎚山 平成9年10月9~12日 チョモランマの会と私
No 0990石鎚山(弥山) 平成23年8月5~7日 親子他 
No1349瓶ケ森∼石鎚山 令和元年11月1∼4日 7名

タイトル写真は、令和元年11月の瓶ケ森から見た石鎚山です。

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