1992年版九州百名山㏌よっちゃん38座目大箆柄山、39座目背振山
38座目大箆柄岳
『大箆柄岳は高隈山地の北部に位置する同山地の最高峰で、「箆」はかってこの山に密生していたクマザサを指す。山岳宗教の本山とされていることから、地元では「本岳」と呼ぶ人もいる。また、広葉樹林に囲まれた大箆柄川上流の高隈渓谷は、鴛鳶ノ滝(幅10m、落差30m)をはじめとする雄大な景観で知られ、各種施設も整備されて、数多くのキャンパーでにぎわう。・・・』と山と渓谷社発行の1992年版九州百名山「大箆柄岳」冒頭に案内されています。
最初に登ったのは43年前30歳のときです。2回目は御岳を目標に平成25年になってからでした。
No275高隈山(スマン峠~大箆柄岳往復) 1979(昭和54)年11月16日 単独
猿ケ城林道に沿った登山道からスマン峠経由で往復しています。
No1044高隈山と霧島の山 2013(平成25)年9月21~23日 4名
1992年版及び2002年版の九州百名山への挑戦が終わりホッとするのも束の間、2011年版が発行されていました。図書名は、九州百名山地図帳と地図を充実させていますが、内容としては同じでした。過去の百名山に含まれていない山が15座もありました。このうち未踏の栗野岳と御岳を今回計画し登って来ました。御岳は九州内一等三角点未踏の山でもありました。秘湯西の横綱「新燃温泉」で露天風呂を楽しむことも目論んで鹿児島まで足を延ばしました。
9/21 霧島連峰(栗野岳1,094m)登山⇒大野原林道⇒スマン峠登山口
9/22 高隈山(御岳1,182m・妻岳1,145m・大箆柄岳1,236m)
登山口7:00→スマン峠→御岳9:00→妻岳→スマン峠→大箆柄岳11:25→スマン峠→12:50登山口⇒16:50えびの高原キャンプ場
9/23 韓国岳登山⇒新燃温泉⇒16:30佐世保
21日スマン峠までの大野原林道は予想通りのダートな道でした。四輪駆動が活躍するのはこんな道と雨裂を避け岩ゴツゴツや土砂盛土を越え慎重運転で切り抜けますが、両サイドからのカヤトは愛車が傷つき涙しながらの走りでした。
22日高隈山、雲仙と同じでこの山名の山はありません。最高峰が大箆柄岳(おおのがらだけ)で御岳が2番目に高い山です。昨夜は時折雨が降っていましたが、出発時は雨も上がってホットします。
スマン峠まで急坂を上がります。
ここからまずは一等三角点の御岳へ。360度大展望の謳い文句は想像がつきましたが残念な空模様でした。
引き返して妻岳に登りスマン峠に戻りました。
次に大箆柄岳を往復して下山します。
同じダートな道を戻り、えびの高原への移動中に桜島の噴火を間近に見ることができました。音も無く爆発するものなのか?小規模ながら火砕流も発生しています。凄い!!残念ながら写真がありません。
23日韓国岳登山後、仕上げの新燃温泉へ。さすがに西の横綱だけあり一見の露天風呂でした。今は新燃岳の噴火でこの温泉も閉鎖中です。
39座目背振山
『福岡・佐賀県境の東西50kmにわたって連なる背振山地の主峰。開山は平安時代にさかのぼり、古くから山岳宗教の中心地として栄え、盛時には背振千坊といわれるほど修験僧の住居があった。・・・』と山と渓谷社発行の1992年版九州百名山「背振山」冒頭に案内されています。
昭和の時代に2回、平成後半に2回登っていますが、1回は沢登り、3回は縦走となっています。
1回目縦走No298雷山∼背振山 昭和56年3月21~22日 9名
3/21長野峠→雷山→井原山→三瀬峠⇒古湯温泉
3/22三瀬峠→金山→背振山→北山ダム
32歳の時ですが、詳しい記録は残っていません。
2回目No436背振山系縦走 昭和61年11月22∼23日 4名
22日 佐世保駅21:16(国鉄)⇒鳥栖駅22:57⇒タクシー⇒大峠23:30
23日 大峠7:30→九千部山9:00→七曲峠→坂本峠→背振山15:00(四阿幕営)
24日 出発6:50→椎原峠→金山→三瀬峠→三瀬車庫前13:00⇒タクシー⇒佐賀駅(国鉄)⇒16:00佐世保駅
久しぶりの汽車利用で鳥栖からはタクシーで登山口大峠に入りました。朝の出発は大幅に遅れます。蛤岳から小雨となりIの足不調で背振山で終わりました。雨も降っており四阿にテントを張ります。
2日目、前半調子良かったが小爪峠よりIのペース落ち三瀬峠でタイム切れとなりました。雷山までの予定は中止して下山することになりましたが、三瀬車庫までが長かった。残念なことにバスはなくタクシーで佐賀駅まで出て待ち時間なく汽車に乗り帰着しました。
3回目沢登りNo989背振山車谷 平成23年7月24日 13名
板屋峠⇒舟石橋(入渓)→林道橋→沢終了→矢筈峠→背振山頂→矢筈峠→舟石橋⇒千石荘(入浴)
初心者向きの車谷です。清流を楽しみ暑さ知らずの沢登りでした。車3台が集結。市役所山岳部の2人も参加、長崎から松尾君も川登SAで合流し車4台、総勢13名の部隊となりました。市役所の2人は登山靴のまま石橋女史は地下足袋と様になっています。水量は多く清流を楽しむには十分で最後は疲れて水を避けるようになりました。滝マークは4箇所ありますが滝場と感じる箇所は少なく水遊びの沢登りを楽しみました。
4回目縦走No1069金山∼背振山往復 平成26年11月23∼24日 3名
23日中山キャンプ場9:00→金山→小爪峠→猟師岩山→鬼の鼻岩→椎原峠→矢筈峠→14:55背振山キャンプ場(幕営)→背振山頂往復
24日 出発7:00→矢筈峠→椎原峠→鬼の鼻岩→猟師岩山→小爪峠→三瀬分岐→12:00中山キャンプ場⇒三瀬温泉⇒有田ブラウ窯
帰路、有田ブラウ窯に立ち寄った。同世代の萩さんの工房で今月1日よりカフェも開店しており案内を受けていたのである。25年前から独学で焼き物を始めたそうだ。ブラウ(ドイツ語)とは青の意味で、全ての焼き物は青がテーマとなっている。カフェではドイツに拘ったビールやソーセージなどの軽食、コーヒーなどが用意されていた。街は秋の陶磁器祭りの最終日で賑わっており、泉山弁財天の大公孫樹を見物して帰りました。
ブラウ窯報告になりましたが、お店は質素で感じ良く公孫樹は最高でした。山はボッカ訓練で中山キャンプ場からの金山~背振山の往復縦走でした。往路6時間、復路5時間でした。小爪峠へ下った分を猟師岩山まで登り返すのがポイントで、椎原峠からのだらだらとした上りもジワーと堪えます。復路は荷も軽くなっているはずですが、やはり疲れました。今、ブラウ窯さんは故郷富山に戻られています。
次回は40座目虚空蔵山、41座目白鳥山を投稿予定です。