山登り人生vol44内大臣峡から国見岳
23歳、この頃、良く登っていましたが、昭和47年度の記録は28回49日と極端に少なくなりました。記録に残していない山もあるようです。
愛車フェローが可哀想。定員4名にキャリアにも荷物を積み。酷道265号の峠越えやカラスに肉を取られた思い出があります。
しかし何故重い荷物を担ぎ1ピッチの場所で幕営したのかと不可解な面もあります。
No91内大臣峡~国見岳~椎葉ダム
昭和47年5月20~21日
Y先輩、K女史、M新人、私
20日佐世保K女史宅0:30⇒大牟田3:00⇒熊本⇒内大臣峡⇒登山口6:20→
水場 6:35→7:00キャンプ地14:00→国見岳15:50→17:00キャンプ地
21日出発10:00→登山口11:00⇒椎矢峠⇒13:00耳川上流14:00⇒椎葉ダム⇒
国見峠16:00⇒本屋敷17:00⇒高森18:00⇒21:30佐世保
20日夜走り、国見岳中腹に幕営
前日、北アルプスから帰り弛みがあったが、誘いを受け二つ返事で了解する。登山口まで車で行けると、調理器具もいろいろ持参し釣り道具もと普段はないものを持ち込む。
九州山脈を形成するこの山は、流石に深山を感じた。
松橋で国道3号線から離れ、一時間も走ると日本一高い林道橋に立った。
西海橋より高いようだ。暫く走ると内大臣峡だ。
高さは不明だが何段にもなって凄いしぶきを上げ、我々を吸い込みそうな滝が右岸から緑川支流に落ち込んでいる。
今走っている道は椎葉と矢部を結ぶ椎葉林道である。
林道に入って1時間もせず幕営予定地の広河原に着くが
土砂で埋まり、ここでの幕営は諦める。
登山口に移動して車を止め、国見岳向け登り出す。
急な登りに睡眠不足の皆はふらついているよう。
1ピッチの登りで後4km地点に着く。
左側にトラバースすると水場もあり近くに幕営する。
ホットケーキを食べ休むことにした。
小鳥の声に目を覚ますと12時を廻っていました。
心配した天気も回復し新緑が青空に映えます。
タンタンタン・・・32分音符のキツツキのたたき音も聞こえます。
山野草の本を持ちカメラ、地図、行動食をサブザックに詰め国見岳に向かいます。
暫くトラバースして広い尾根に上がると30分もしないで山頂に立ちました。
シャクナゲの群落に歓声が上がります。暫く見とれます。
展望もよし。市房山、尾鈴山、霧立越の山並みが確認できました。阿蘇、九重、祖母は春霞で見えません。
帰りはウドなど山菜を採りジンギスカン料理を楽しみにテント場に戻ります。唖然とします。
沢水に冷やし隠していた数㌔の肉とトマトがカラスに持ち去られたのです。
傍でカーカーと鳴いています。
赤いトマトが目印となり餌食になっていました。
肉は無くなりましたが、
冷麺に始まり山菜と23時頃まで楽しく長い夕食となりました。
21日椎矢峠から椎葉入り。酷道265号線
三人は起きようとしません。
動き出したのは10時でした。
何組かのハイキング姿の登山者とすれ違います。
登山口に戻ると路肩は車の列でした。
椎矢峠を越えます。
耳川では竿を垂れのんびりして渓谷美を楽しみながら、椎葉ダムに向け下ります。
椎葉林道から酷道265号線へ。素晴らしい山岳ドライブコースです。
特に椎葉から本屋敷への峠越え(国見峠)は酷道発揮の道でした。
無事通過できるか、これぞ九州一いや日本一の酷道でした。
愛車精神の私は車を背負いたい気持ちで一杯でした。
道路標識はなし、カーブの連続、登りも続く。
これが国道かと何度か尋ねた。
本屋敷まで下ると「通れましたか。」との言葉に寒気が背筋を走りました。遠く外輪山の先に阿蘇の山々を見、根子岳が近くなると安堵感に浸ることができました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?