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山登り人生VOL338正月は九重坊がつる

1969年9月23日から記録を始めた山日記をブログで振り返っています。
ブログ投稿は2021年9月1日から1,000回連続を超えました。
シリーズ「山登り人生」の投稿も一年経ちました。

38歳頃の山登りです。
62年度の山行は20回・38日入山と前年度とほぼ変わらず、
ビックな山行がなくなり
恒例的行事への参加や九州内での山登りが主体となりました。

この年秋からはメニエル症候群を発症し、
この九重も気にしながらの参加でした。
耳鳴り耳つまり人生の始まりです。

No453冬山合宿(九重山系)

昭和62年12月31日~1月2日 
M、F海産物屋、M仕立人と私
若手の冬山合宿爺ケ岳~鹿島槍ケ岳にはM夫妻とK君が参加した。
私はメニエルが気になり近場の九重合宿に参加した。

12/31佐世保19:30⇒武雄(高速道路)⇒22:30長者原
01/01出発8:00→雨ケ池越9:00→10:00坊がつるBC11:00→三俣山12:30→
   北千里→13:20BC
01/02出発8:00→鉾立峠→立中山9:00→窪地→11:00BC12:00→
   雨ケ池越12:40→長者原13:30⇒19:00帰宅

坊がつるを見下ろす

メニエルが気になって一旦諦めたが、
休みが近まるとやはり九重ならと参加することにした。
出発の大晦日、仕事の呼び出しで火災見舞いに出向いたあと、
九重に向かった。

31日夜中は暴走族の爆音で眠れなかった。

1日元旦、曇り。風強く寒い。
雨ケ池越経由で坊がつるに入りテントを張った後、
三俣山直登コースから山頂を目指した。
やはりこの急な登りでは症状が出た。
耳の中で心臓が高鳴っている。
ヤバイと思いながらもどうにか山頂に立った。

風強く早々に山頂を離れすがもり越方面へ下るが、
ルートを見失い北千里へ直接下ってしまった。

坊がつるで休んでいると
14時頃長崎登高会のK女史が久住より下りて来て偶然な出会いとなった。
誰かさんが心寄せている女性の加わりで楽しい正月となった。

体調は最悪ではないが、気にしながらの酒宴だった。
夜中は身体が火照って寝苦しかった。これもメニエルの症状か?

2日曇り時々雨、
昨夜決定したルートに意欲を燃やし起床したが、
朝から天気悪く気勢を削がれてしまった。
ここで中止すれば即下山となる。
気が進まないまま立中山へ、K女史も同行した。

鉾立峠から白口岳を望む

鉾立峠から立中山へ。
山頂ではとうとう雨具を着用するハメになった。
ここより東側窪地に下り、
ダイレクトに大船山頂を目指そうと予定していたが、
ガスってしまいルートはっきりしない。
一旦窪地に下ったがガレ場に取り付くまで相当な藪漕ぎとなり、
意欲は減退するばかり、敢え無く中止となった。

小さな流れに沿って沢を下る。苔むしたゴーロを下ると坊がつる水場建物の裏に飛び出した。
一旦、テント入り腹ごしらえし残りのアルコールを処分した。
雨なので下るしかない。
下りは駆け足、あっと言う間に長者原に下山した。

雨ケ池越

帰宅してからも体調良く気を良くしたが、机に向かうと頭が重くなった。
一日早く帰宅したので正月付き合いで
2日夕は妻の実家に行き、
3日は私の実家で親孝行?した。

会の長老木村氏が正月逝去との連絡が入っていた。






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