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1976年ヨーロッパ山旅㏌よっちゃんコスミック山稜へ

No196ヨーロッパ山旅 昭和51年7月15日∼8月19日 3名

これまでのお話

7月16日日本を出国し
18日シャモニ入りロジェールキャンプ場にBCを設営しました。
19日フランス山岳会入会や山岳保険に加入してシャモニ生活が始まったが、
20日体調すぐれないままガイアンの岩場に取付いて滑落負傷してしまった。
21日治療休養
22日万全ではないがボソン氷河を覗き、
23日ランデックス針峰からシャモニの街や山々を俯瞰して
24日モアヌ針峰に登るため登山口クーベルクル小屋まで来ました。
25日雪の中、苦労しましたが18時間の行動のすえモアヌ針峰に登りました。
26日シャモニに戻りモンブラン登山の準備です。
27日グーテ小屋3817mに入り                     28日モンブラン登頂を果たしBCに戻りました。明日は休養ですが思わぬアクシデントが発生します。
29∼30日休養と分裂。こんなことも起きました。

コスミック山稜へ

7/月31日(土)曇り山は雪 ミディ針峰南南西稜(別名:コスミック山稜)
BC8:40→9:00シャネルスポーツ(開店待ち)アイゼン、アイスハンマー、ピトン24FF購入
ケーブル駅10:00⇒10:20ミディ山頂3800m(シャモニ~トリノ間114.6FF)
12:00氷河げ下降~コスミック山稜~14:40ケーブル駅

ミディ地図

コスミック山稜は、ミディ針峰3,800mより南南西に派生する短い稜です。1911年に初登攀されミディのコル3,532mから頂上3,800mの高度差268mの岩稜で難易度Ⅲ級の数ピッチとⅣ級1ピッチを含む全体グレード3級ルートとして、ガストン・レビュファー著書「モンブラン山群」に紹介されています。

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ミディ針峰にケーブルが架設されて以来、手頃で興味ある登山コースとなっています。高度面、技術面から確認するのに役立つコースで、岩と雪がミックスされた理想的な練習ステージを提供しています。
長崎の岡田氏よりアドバイスも受けていたので遠征前半に予定していましたが、私の滑落事故で後半になってしまいました。モアム針峰、モンブラン等を登った今、意味合いがツールロンド北壁に向けての士気高揚の場となっていました。

ミディルート図

ツールロンド用の食糧やアタックに必要な装備を購入してシャモニ発ロープウェイに乗ったのは10時頃でした。このロープウェイは、ミディ針峰まで高度差2,800mを20分で登ってしまう世界一速いものです。このミディ針峰に登って、モンブランに登ったと思い込み帰国する日本人も多いようです。

31ミディー中間駅プラン・デ・セーギュー

中間駅で乗り換えます。

31ミディへ中間駅プラン・デ・セ-ギュー

 ミディ針峰は、北峰・中央峰・南峰から成っており、この三つ全体にわたってロープウェイの駅があります。全て岩の中で中央峰には橋で繋がっています。氷のトンネルも

31ミディ山頂氷のトンネル

鉄橋からモンブランを望みます。

31ミディー鉄橋よりモンブラン

北峰に着いた私達は、ヴァレ・ブランシュ上空を横断するロープウェイ出発駅の南峰に向かい、駅の近くで昼食を済ませました。観光客の群から離れ、痩せた雪稜、北東稜を下降し始めたのは、丁度正午(ミディ)でした。

ミディ写真

左(北)側はシャモニの街まで一気に切れ落ち、目が廻るような深さです。痩せた雪稜は暫くすると終わり、右側へと稜線より離れミディ南壁下部へと回り込みます。(下パンフ)

31ミディ山頂パンフ

ヴァレ・ブランシュ氷河に下りた頃よりガスが湧き、雪がチラつき始めました。南壁、コスミックバットレスの大岩壁は、思ったより大きく感じませんでした。周りがあまりにも大きく、高度差200mの岩壁では小さく見えてしまったのでしょう。

31ミディ南壁

31ミディー南壁

31ミディ南壁全景

31コスミック壁

私達が今から取付くコスミック山稜は、この二大岩壁に支えられています。コスミックバットレス下部を過ぎクレバスを横切ると、ミディのコル手前の山稜に着きました。

31コスミック取付きへ (3)

ここにはシモン小屋3,593mがありましたが、今は物置小屋のようになっています。いよいよ取付きです。風が強くヤッケを着込みます。アイゼンは必要としません。岩と雪がミックスした稜線を真っ直ぐ登ると、最初のジャンダルム3,731mが現れました。右手は穏やかなヴァレ・ブランシュ氷河、左手は深く切れているはずです。

31コスミック取付きへ (2)

 単調な稜線を辿ると大きなツルムの下に出ました。これを右から10m程懸垂下降します。バンドを通り、更にクラックを5m程下りてクーロワールに達しました。

このクーロワールで二人の日本人パーティーに出会いますが、石を落すこと甚だしく危なくてしょうがありません。ここから再び稜線に戻り第2ツルムに行きますが、私達は稜線下のガレ場を右上して進みました。ガレ場が終わると雪面となって稜線へと続いていましたが、雪と岩の境をトラバースして雪のバンドに達し右上しました。

バンドが終わると嫌なルンゼ下に出ました。正しいルートでないため浮石が多く、雪が付着しホールドが見つけ難い状態です。5m程のチムニーの後、クラストしたルンゼを5m直上し右傾ルンゼを10m登ります。この部分が一番嫌な所で非常に不安定でした。ルンゼを抜け階段状の岩場ともつかない所を30m登ると山頂駅の一角に達しコスミック山稜を終了しました。

31ミディー山頂

後半の3分の1はルートを間違いすっきりした登攀はできませんでしたが、前日の分裂後遺症を回復させるには役立ったようです。

コスミック山稜の記録は文と写真が一致しません。もう46年前で恐縮です。

ミディ針峰からイタリア・トリノ小屋へ

ケーブル駅15:30⇒16:00エルブロネル・ピーク(国境)→16:15トリノ小屋(伊)BC
トリノ小屋(ビール3本13.5FF パン3個6FF チンザノ3本9FF)

駅でコーヒーを沸かし腹拵えした後、15時30分のケーブルでトリノ小屋に向いました。

トリノケーブル

31ケーブル

このケーブルは仏伊国境のエルブロネル・ピーク3,466mに通じる四人乗りの小型なもので、三つのゴンドラが一組で発車しています。途中、氷河中程のピークを通過する以外は鉄塔はありません。その代わり近くの岩峰三方面からワイヤーで吊り上げています。(上パンフ写真)期待した展望も視界ゼロでクレバス帯が少し見えただけでした。

距離5㎞を30分でエルブロネル・ピーク駅に到着しました。この国境にも税関がありますが、パスポートを見せるだけでノーチェックでした。氷河に出てピーク北側をトラバースしてトリノ小屋に向かいます。10分程で到着しました。

31トリノ小屋へ

国境のジュアン針峰が見えてきました。

31国境ジュアンを望む

「チャオ」と挨拶され驚きました。小屋の娘さんは日本ひいきです。ネックレスに5円玉を使い、私達に持たないかと尋ねて来ます。次に彼女は千羽鶴を見せてくれます。作ろうとしますがド忘れして、兜の帽子を作ってやりました。侍ジャパンと喜んではしゃぎます。イタリア娘さんは愛想が良く可愛らしく感じました。

1レストラン

南側窓近くのテーブルに座ります。モンブラン・ブレンヴァの大氷壁が見えるはずですが、視界悪く見えません。絵ハガキを書いたりして時間を潰します。三人ともチンザノが口に合いお代わりをします。フランが通用してリラ両替は不用でした。気持ち良くなって三階の部屋に移りました。二段ベットが10個並べてあります。ベット前で夕食を作り、明日は3時起床と早々にベットインしました。

1トリノ小屋内部

見づらく読みづらいなか、最後まで読んでいただきありがとうございます。

次回は、ツール・ロンド北壁を目指しますが、どうなりますか?


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