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日本百名山㏌よっちゃん15座目富士山

初めての富士山は30歳での氷雪技術講習会だった。その後も富士山はトレーニングの場、「マッキンレー遠征」「ヒマラヤ・サトパント遠征」での高度順応と訓練だった。4回目にしてのんびり富士山を親子登山で楽しんだ。5回目の機会がこの正月訪れたが膝不調では参加資格はない。冬富士は事前のトレと技術・体力がある者のみが許される世界である。リーダーの素質も問われる。出発直前にこの計画は中止となった。天気予報が最悪だった。天気には勝てないのだ。リーダー判断にエールを送った。

一回目No395指導員講習会 1985(昭和60)年3月 

日本山岳協会主催の氷雪技術講習会に長崎県山岳連盟から2名参加した。
22日 富士吉田⇒中の茶屋→佐藤小屋
23日 出発(途中で滑落停止の訓練)→富士山→七合目(途中で滑落停止の訓練)→小屋
24日 出発→雪壁で訓練→佐藤小屋→中の茶屋⇒富士吉田⇒御殿場⇒沼津

2佐藤小屋

21日8時15分特急みどりで出発。長崎のMさんとは博多で合流できず心配したが、名古屋で合流。三島に夕方到着し小さな宿に落ち着く。
22日バスで御殿場経由で富士吉田へ10時半頃到着。日山協の増子氏と合流して4人相乗りで中の茶屋に向う。ここより歩くことになる。積雪10~20㎝、佐藤小屋に16時半頃到着。夕食後、自己紹介の後ミーティングが始まった。
23日4グループに分かれて7時出発。頂上タイムリミットは12時。わが班は途中、滑落停止の訓練をしたこともあって、オーバーしたが増子氏の判断もあり、山頂に立つことができた。

1985年3月富士山 (2)

下りも七合目付近で滑落停止、スタンディングマックスビレー、コンティニュアンス大阪方式などを習う。他のパーティーより遅くまでの訓練となった。

1985年3月富士山 (1)


24日春山日和。唇が焼けるのが分かる。下山する者も多い。基礎・応用班と別れ実践的な訓練となる。内容は昨日の繰り返しである。少し早く終わると言っていたが、結局最後まで参加して皆と一緒に下山する。
富士吉田からバスで御殿場へ。汽車を乗り継ぎ沼津へ。季節特急に乗車できひと安心で、乗車するなりバタンキューと寝込んでしまった。


二回目No484マッキンレー訓練合宿 1988(昭和63)年12月~1月 5名


12/29 佐世保⇒ 16時間 1,250km走行
12/30 御殿場11:00⇒13:30富士スバルライン五合目
12/31 富士山頂泊
01/01 下山開始8:00→13:00五合目⇒河口湖民宿「紅富士荘」6,100円
30日富士吉田で買出し。雪が少なく五合目まで車で入山でき一日短縮できた。夕方はマイナス10度まで下がった。
31日山頂へ。スタートから調子悪く腰が痛い。七合目付近からは先行の二人に完全に遅れをとり、最後に残り二人に追いつき山頂には1時間半も遅れて到着する。バテバテであった。脈拍105、体温37.4度、完全に高山病で動悸が激しく夜は全く眠れなかった。夜半より風雪が酷くなり、テントポールは折れ、テントは完全に潰されてしまった。高山病、このままここに居ると身体がどうにかなるのではと考えてしまった。              1日朝が来てようやく下山できる。テントは今にも飛ばされようとしている。いざ行動しようとすると、眼鏡レンズが外れてしまった。下りは、上り以上に苦しかった。途中、一人ルートを間違ったかと思った。思考力もなくなっているようだ。遅れて五合目に到着した。五合目に着いても頭はスッキリしない。風邪もひいたようだ。こんなに苦しい下山行はなかった。風雪で富士スバルラインも閉鎖、我々はチェーンを着けて下山した。料金徴収所でゲートを開けていただき富士吉田市へ。
民宿泊まりとなり紹介いただいた宿でワイン1升5合をご馳走になり、良い気分でダウンする。                         2日朝の起床もしんどかった。富士山の西側、青木が原樹海、朝霧高原、白糸の滝を見学して、富士ICから東名に乗り帰路に着いた。

1989年1月富士山 (1)

1989年1月富士山 (2)

40歳、6月のマッキンレー遠征には休暇がとれず不参加となったが、この富士合宿でのチームワークのなさが課題となった。本番には説得され参加した女性であったが心配は的中した。男性二人は登頂したが、その女性とはその後連絡をとるような関係はなくなった。リーダーシップも問われる冬富士である。


三回目No636サトパント訓練合宿 1996(平成8)年12月∼1月 8名


12/30富士吉田市⇒富士スバルライン四合目⇒吉田口登山口
12/31馬返→佐藤小屋下幕営 午後、上部でトレ
01/01出発→八合目上部で下山決定→BC
01/02出発→馬返⇒溶岩温泉⇒大阪吹田JC⇒

30日富士スバルラインに予想外に早く到着する。しかし、道路凍結でゲートが開いていない。係りの叔父さんは露骨に嫌な顔をしている。10:30には開くだろうと待機する。このゲートが開いたと思ったらちょっと上の所でまた足止め。待ちに待って四合目まで上がってみたら、ゲートを閉めるからスバルラインから出ろと言われる。役所の規制がかかっているようで粘ってもだめであった。滝沢林道に廻っても閉鎖してあり、結局、吉田口の馬返に車を停めてテント泊となる。
31日馬返からのボッカ。40代になって体力は確実に落ちている。     1日早朝からの強風、ラジオでは低気圧の発達と九州地方の悪天を伝えている。4時起床を見合わせて8時頃からのサブ行動となる。山頂泊まりは中止となった。バテてる者もでて八合目上部で下山となる。
下山ではトラブルが2回発生、リーダーに疑問符が付いた合宿となった。                              2日予想とおり昨夜半から雪となってBCでも強風となった。しかし青空、富士吉田から仰ぎ見る富士山は、雪煙が乱舞して美しい。決断は正しかった。


四回目No1214親子登山 2018(平成30)年7月∼8月

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31日富士山スカイライン⇒水ケ塚公園駐車場
01日富士宮口5合→九合目萬年雪山荘へ(山頂8℃ 5合目13℃)
  長男は山頂往復、山頂郵便局より登頂ハガキ発送。私は休養
02日富士山最高地点剣が峰→お鉢巡り→御殿場下り口→宝永山馬の背→富士宮口5合目⇒帰路につく

今年正月、長男との約束で富士山に行くことになった。富士山は4度目であるが冬の時期のみで夏は経験がない。そして富士山最高地点の剣が峰に今回初めて立ち、お鉢巡りもして満足の山行となった。長男とは30年振りの山行だった。
31日水ケ塚公園にはかなりの車が駐車している。富士山スカイライン登山区間は7月10日から2か月間はマイカー規制があり、この駐車場に停めてシャトルバス利用となる。同バスはこの公園より30分間隔で発着しており、乗車する登山者、下車する登山者で賑わっている。ここは標高1500mであり下界の酷暑はない。車中泊も快適であった。

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1日始発は6時であるが大型バスは直ぐ満杯となり、2台が定刻前には公園を出発した。昨日は富士山の全容は観られなかったが、今朝はその姿を確認した。美しい。やはり日本一の山だ。午後になると雲が出るのだろう。ヘアピンカーブが何度も続き標高差900mを約40分で富士宮口5合目に到着した。山頂までの斜面登山道が一望できる。剣が峰も見える。

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登山口には門番のように登山協力金を徴収するスタッフが居る。私達は公園バス停で支払っていた。証拠の記念バッチを目立つように帽子に付けている。時間的にも余裕がありゆっくりペースで登り始めた。基本先行者を追い越さないペースだが、富士宮市主催の親子登山会の大パーティーの中となり、隙間を見ながらの登山となった。ツアー登山グループも多い。リーダーのゆっくり深呼吸してなどのアドバイスの声が聞こえる。合目毎に山小屋がありのんびりする。九合目萬年雪山荘には午前の早い時間に到着した。今日中に山頂に立ち下山できる時間帯だ。日の出観賞もありここまでとした。
長男は山頂郵便局で登頂記念ハガキを買って投函するため山頂を目指した。

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この間、私は担ぎ上げたビール二缶に焼酎を飲んで時間を潰した。ここまで来ると350mℓビール缶は800円で携帯酸素は登山口で1000円が2000円になっていた。部屋2畳位か寝袋が6人分並べて有り我々の他親子2人でゆっくりできた。16時過ぎに夕食カレーライスを食べ20時が消灯時間であった。トイレに近く人の出入りや高山の影響(飲み過ぎ?)が出て良く眠れなかった。

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2日2時食堂オープン。パック入りの弁当で薄っぺらにご飯が盛ってある。余り食しない登山者が多くこの量なのだろう。寒いだろうと予想していたが大したことはなかった。長男は至って快調のようだ。マイペースでは登れない。ツアー客の後をそのペースで登って行く。ツアーリーダーが盛んにアドバイスする。後少し。後少し、ゆっくり深く呼吸してと。富士山本宮浅間大社奥宮に到着した。

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806年に建立された大社で全国浅間大社の総本山である。いよいよ最高峰の剣が峰へ。途中、明かりが射してきたが直ぐ雲に隠れた。馬の背を過ぎ登りが急になると測候所が見えて来た。雲の中である。二等三角点3,775.63m、日本での最高地点である。

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晴れる見込みも期待薄でお鉢巡りに出発した。お鉢巡りは全ての頂きを通過するのかと思ったが殆ど巻いておりなだらかな道が続いた。朝日が射したり曇ったり、大内院が見えたり剣が峰が見えたり下界が見えたりと十分に楽しめた。吉田口からの山頂に達するとドッと登山者が増えた。平日にしてこの賑わいである。

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浅間大社奥宮まで一周(写真:右端は剣が峰)して御殿場口側に下ることにした。宝永山までの斜面が一望できる。

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下りも学生パーティーの隙間を見ながらの動きとなった。七合目下から登りと下りのコースに別れ砂走の道となる。勢いよく下ると下り六合目で、ここを見落とさないよう砂走館でアドバイスを受ける。

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ここで大砂走りの御殿場コースと別れて宝永山馬の背に向かった。砂走りはもういいと思ったが宝永第一火口まで延々と続いた。宝永山の下降壁も異様な景観だった。

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火口縁に登り返し更に富士宮口六合目にトラバースして五合目登山口に戻った。2時過ぎから10時近くまでの約7時間行動で疲れはあったが満足した。山麓の天母の湯で5時間近く休憩して帰路に着きました。

次回は16座目、四国の剣山です。

















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