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ヒマラヤ7000m峰への挑戦と挫折⑨

ビバークアタックそして断念
 

「1997年長崎県山岳連盟サトパント峰学術登山隊」の挑戦と挫折の記録を登頂断念記を基に投稿しています。 
8月8日から始まった本格的な登山活動は、9日キャンプ1(C1)、14日C2を設置し16日にアタックしましたが・・・。
私は12日Ⅽ1からBCに戻り、ここでも回復せず13日にはポジュパスまで下り高山病と戦っていました。
高体連所属の隊員からの報告を基に行動表を手書きで作成し細部が不明ですが、その様子を投稿します。

 

8月16日(晴れのち曇り夕方雪)ビバークキャンプへ
 

アタック隊3名はビバークキャンプの形で登頂を狙い動きました。
隊員二人の報告からまとめました。
KU隊員の報告要点

FJ隊員の体調回復せず急遽アタック隊に加わり、登攀リーダーとロイの3名でC2を出発する。9時30分、雪の状態が悪くなりナイフリッジがはじまるところまで引き返す。時間もありC3用テントを取りにC2に戻る。シュラフカバーで一晩明かすことになる。
14時15時18時とC1と交信する。
明日からの行動予定で意見が擦れ違う。
 
S隊長「ナイフリッジのルート工作は三分の一も進んでいない。残されたフィックスロープで抜けるのは無理である。残りの日程で登頂してC1に戻るのは体力的に無理がある。今日の最高地点標高6,000mを隊の最高到達点とする。明日は今日の最高到達点まで登りフィックスロープを回収して、計画とおり18日までにC1まで帰ること。」
 
アタック隊「今日の目前のピークを越えると目途がつく。残りのフィックスロープで抜けるのは可能である。19日C1下山と一日延ばせば登頂可能性も高くなる。」と食い下がる。
 
S隊長「期日は守ること。フィックスロープが無くなった時点で登攀活動は中止である。最終的には登攀リーダーの判断と責任で行動すること。」と断定的に言い切った。
 
この投稿を纏めながら残り標高差1,000m以上を残り2日間で登頂しC1まで下るのは無理であったと思われます。
 
MO隊員の報告要点
 5時45分アタック隊3名が出発。
私とFJ隊員は30分遅れて荷揚げする。
8時45分、最大の難所、ナイフリッジのルート工作している3名に追いつく。
ナイフリッジはまさに刃物のような鋭さで空中に架かっている。
私が見たのは始まりの部分だけだが、右手はほぼ垂直に、左手も60度あまりの傾斜で1,000m以上落ち込んでいた。
その上を数十m歩いたが、正直怖かった。
スノーバーとロープをアタック隊に渡し、9時40分C2に帰着した。
明日はFJ隊員がC1に下る。今夜は二人で過ごした。
夕方、ビバークしているアタック隊とC1のS隊長との交信であるが、直接通じずC2で中継しての交信である。
正確に伝えるよう気を遣う。
お互い激しいことを言い合っていたので尚更である。
数時間議論のすえ、明日のアタックが認められた。

8月17日(晴れのち曇り)登頂断念C1へ下山
 

KU隊員の報告要点
 4時起床。薄明るくなるのを待ってルート工作をする。
日に日に雪の状態が悪くなっている。稜線にまたがり這いずるように進む。
スノーバーが利かない。上に引けばスルット抜けてしまう。
それでも進める間は良かった。
最後と思っていたピークを越えると、次のピークが見えた。
稜線上と西側斜面の雪が溶けている。
ロックハーケンはもうない。
東側斜面の雪部分をトラバースするしかない。
スノーバーは利かない。
決断の時が来た。
ロイは行こうと言う。
登攀リーダーが私を振り返る。
「どうする。」「迷ったら引き返しましょう。」
7時30分、すべての登攀活動は終了した。
引き返すとなると、逆に恐怖心が沸きあがってくる。
C2に戻る。下るとなればC1まで下りたい。
次の難関は氷壁の下りである。
氷が溶けてアイスピトンが緩くなている。アイスピトンを確かめ打ち込みながら慎重に下って行く。
表面を水が流れ、氷に埋まっていた石が横を滑り落ちて行く。
下の氷河も一変していた。積もっていた雪がなくなり、なかった小川が氷河上を流れている。
C1に辿り着く。S隊長とMK隊員が迎えてくれる。
涙がでそうになる。MK隊員が作った紅茶が美味しい。
スッと力が抜けて行く。虚脱感は全身を覆う。
 
MO隊員の報告要点
7時10分、FJ隊員と荷揚げに向かう。
8時、アタック隊が雪質不良のためナイフリッジ攻略を断念し、引き返すとの無線が入った。
あっけない幕切れだった。
私は雪の上にしゃがみ込んで水を飲み飴を食い、立ち上がって小便をした。
とにかく3名を笑顔で迎えようと決めた。

次回は、S隊長の総括報告「無念!ついに登頂断念」を投稿予定です。

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