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山登り人生vol199冬山トレーニング

私32歳。奥様32歳、長女7歳、長男6歳、次男2歳
昭和56年度は8年振りの職場異動からスタートし、
奥様の再就職・運転免許取得など多忙な日々のなか
10月には奥様はタクシー乗車中に交通事故に遭い後遺症が残りました。
この年度は月2回ペースでの山登りで25回47日の入山でした。
晩秋となり冬山合宿に向け動きだします。

No316県岳連遭対訓練(八丁谷左俣ルンゼ)


昭和56年11月28∼29日 
Y会長、Y遭対委員と私、他多数

28日夕方6時よりY宅へ。
車を乗り換え黒木小嶽小屋に向かいます。
遭難対策委員会に出席し、29日の訓練に参加しました。

29日左俣ルンゼで訓練。
霜が降り寒い朝です。
新人K君が来ると言うので9時20分まで小屋で待つが来ない。
皆のあとを追い左俣ルンゼ9:00~15:00に向かいます。
最初の滝で砂袋を利用して確保

自己脱出法やカラビナ制動による懸垂下降を練習します。
昼からは遭難者を背負っての滝の下降を訓練し小屋に戻りました。
15時30分委員会があり、本日の反省、今後の活動方針などが協議されました。
・・・
現在も山岳レスキュー研究会の活動が行われていますが、この頃がより実践的でした。 

No317英岩アイゼンワーク

昭和56年12月13日 
T先生夫妻、K君と私、鹿島槍ケ岳組(S君、M、T)、単独S
今年3度目の英岩。

T先生夫妻は先週の野北ゲレンデで練習不足を感じたのか、
本日の英岩となった。
私は新人K君とザイルを組み練習する。
スラブ練習が終わる頃、冬山鹿島槍ケ岳組がやって来た。
昼食後、岩稜に3組とも取付いた。

単独で来たSは暫く様子を見ていたが早々に下った。
この岩場に変化があった。
クリーンクライミングが流行りであったが、
それに被れた人達の仕業だろうか、
訓練に必要なハーケン・ボルトの殆どが抜かれたりしていた。
再整備が必要と憤慨しながら16時頃下山した。

さあ冬山本番である。
 
 
 

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