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山登り人生VOL389日本百名山28座目大峰山

1969年9月23日から記録を執り始めた山日記をブログで振り返っています。ブログは2021年9月1日から始め2年10カ月、
このシリーズ「山登り人生」は一年経ちました。

42歳頃の山登りです。
平成3年度の山行は13回延べ27日と
前年度比10回・17日減と大きく減少しました。

仕事は超多忙。
実母探しにも真剣になり、生存を確認し現住所まで確認しましたが・・・。次男は小6となり少年ソフトの練習や試合応援に追われ、

山は二の次だったようです。
4∼7月は全く登っていない。

ようやく山に向かいました。日本百名山のピークハントです。

No526大台ケ原∼大峰山その2

平成3年8月9~13日 M、Y女史と私
09日佐世保20:00⇒ 
10日日本百名山27座目日出ケ岳登山と大杉谷
11日大台ケ原駐車場⇒大峰山麓移動
12日出発6:20→レンゲ辻7:55→28座目大峰山(山上ケ岳)(女人禁制)8:55→11:20テント
13日出発7:00⇒奈良東大寺10:15⇒法隆寺12:35⇒22:00佐世保

 11日大峰山麓の洞川温泉に移動し、終点手前の河原にテントを張った。
   洞川温泉は修験場の宿坊で、独特のムードが漂っていた。

 12日女人禁制の大峰山。登山口に着くまで知らなかった。
正面からのコースは結界門があり、Y女史身体が動かないという。

やはり妖気が漂っているのか。川瀬谷側のレンゲ坂へと転進する。
ここから登る人は少なく登山道は荒れていた。
急な登りが終わると、ここにも結界門があった。

「どうする。」と彼女に投げかけるが、
彼女も一人残るのも寂しいだろうこのまま登ることになった。
とうとう山上ケ岳山頂まで彼女も登ってしまった。

山頂に彼女を残し男二人で本堂にお参りし戻っているその時、
彼女が山伏に見つかってしまった。
男二人は厳しく叱責された。
「1ヶ月以内に死んでしまう。」と告げられた。
早々に山頂を後にした。

山頂直下の大峰山寺

彼女を無理やり登らせたこともあり、
悪いことをしたと申し訳なかった。
反省しきりの後味の悪い山行となった。

テントに戻り、近くの洞川温泉で三日振りに汗を流した。
今夜もここに泊まる事にした。

翌13日、すきっきりしないまま大峰山麓を後にし、
東大寺や法隆寺を参拝して帰路についた。

8月19日ソ連クーデター。ゴルバチョフ失脚。
9月01日町内ソフト優勝      
9月08日防犯ソフト優勝

 

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