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山登り人生vol87コスミック山稜の登攀

27歳。奥様25歳、長女2歳、長男8ケ月。
初めての海外遠征でした。

No196ヨーロッパアルプス遠征36日間 

昭和51年7月15日~8月19日 M、Iと私
ランデックス針峰南東稜、
モアヌ針峰南稜、
モンブラン一般ルート
コスミック山稜(ミディー針峰南南西稜)
ツールロンド北壁、
マッターホルンヘルンリ稜
6座登りました。

この遠征記録は、
令和4年1月1日から5月7日にかけ
マガジン
「1976年ヨーロッパ山旅日記㏌よっちゃん」に27本投稿しています。

今回のマガジン「山登り人生」は、

山日記のスタート昭和44年9月の登山から投稿を続けています。
遂に昭和51年のヨーロッパアルプス遠征まで来ました。
前述のとおり既に投稿していますが、
改めて山登りの記録のみを添削しながら
17日目、ミディ針峰のコスミック山稜の登攀を投稿します。

グーグルアースより

コスミック山稜(ミディー針峰南南西稜)の登攀

23日ランデックス針峰、
25日雪の中、モアヌ針峰南稜を登攀し
28日ヨーロッパ最高峰モンブランに立ち
29日休養、30日は予期せぬ分裂も経験し、
31日観光客で賑やうミディ針峰に世界一のロープウェイで登り、
その南南西稜のコスミック山稜に向かいました。

中間駅

31日土曜日、曇り山は雪
BC8:40→9:00シャネルスポーツ(開店前で開店待ち)
アイゼン、アイスハンマー、ピトン24FF購入
ケーブル駅10:00⇒10:20ミディ山頂11:50(シャモニ~トリノ間114.6FF)
コスミック山稜11:50~14:40

グーグルアースより

行動内容

コスミック山稜は、ミディ針峰3,843mより南南西に派生する短い稜です。
1911年に初登攀され
ミディのコル3,532mから頂上3,800mの高度差268mの岩稜で
難易度Ⅲ級の数ピッチとⅣ級1ピッチを含む全体グレード3級ルートとして、ガストン・レビュファー著書「モンブラン山群」に紹介されています。
ミディ針峰にケーブルが架設されて以来、
手頃で興味ある登山コースとなっています。

高度面、技術面から確認するのに役立つコースで、岩と雪がミックスされた理想的な練習ステージを提供しています。
長崎のO氏よりアドバイスも受けていたので
遠征前半に予定していましたが、
私の滑落事故で後半になってしまいました。
モアム針峰、モンブラン等を登った今、意味合いがツールロンド北壁に向けての士気高揚の場となっていました.

ミディーより望むモンブラン

食糧やアタックに必要な装備を購入してシャモニ発ロープウェイに乗ったのは10時頃でした。
このロープウェイは、
ミディ針峰まで高度差2,800mを20分で登ってしまう世界一速いものです。
このミディ針峰に登って、モンブランに登ったと思い込み帰国する日本人も多いようです。

中間駅

ミディ針峰は、北峰・中央峰・南峰から成っており、この三つ全体にわたってロープウェイの駅があります。
全て岩の中で中央峰には橋で繋がっています。

連絡通路(トンネル内の氷)
ミディー中央峰
グーグルアースより

北峰に着いた私達は、
ヴァレ・ブランシュ上空を横断するロープウェイ出発駅の南峰に向かい、
駅の近くで昼食を済ませました。
観光客の群から離れ、痩せた雪稜、北東稜を下降し始めたのは、
丁度正午(ミディ)でした。
左(北)側はシャモニの街まで一気に切れ落ち、目が廻るような深さです。
痩せた雪稜は暫くすると終わり、
右側へと稜線より離れミディ南壁下部へと回り込みます。
ヴァレ・ブランシュ氷河に
下った頃よりガスが湧き、雪がチラつき始めました。

取付きへの廻り込み

南壁、コスミックバットレスの大岩壁は、
思ったより大きく感じませんでした。
周りがあまりにも大きく、高度差200mの岩壁では小さく見えてしまったのでしょう。

南壁
南壁

私達が今から取付くコスミック山稜は、この二大岩壁に支えられています。
コスミックバットレス下部を過ぎクレバスを横切ると、ミディのコル手前の山稜に着きました。ここにはシモン小屋3,593mがありましたが、今は物置小屋のようになっています。

グーグルアースより
コスミック山稜取付き(左側末端)

いよいよ取付きです。風が強くヤッケを着込みます。
アイゼンは必要としません。
岩と雪がミックスした稜線を真っ直ぐ登ると、
最初のジャンダルム3,731mが現れました。
右手は穏やかなヴァレ・ブランシュ氷河、左手は深く切れているはずです。
単調な稜線を辿ると大きなツルムの下に出ました。
これを右から10m程懸垂下降します。
バンドを通り、更にクラックを5m程下りてクーロワールに達しました。
このクーロワールで二人の日本人パーティーに出会いますが、
石を落すこと甚だしく危なくてしょうがありません。
ここから再び稜線に戻り第2ツルムに行きます。
私達は稜線下のガレ場を右上して進みました。
ガレ場が終わると雪面となって稜線へと続いていましたが、
雪と岩の境をトラバースして雪のバンドに達し右上しました。
バンドが終わると嫌なルンゼ下に出ました。
正しいルートでないため浮石が多く、
雪が付着しホールドが見つけ難い状態です。
5m程のチムニーの後、
クラストしたルンゼを5m直上し右傾ルンゼを10m登ります。
この部分が一番嫌な所で非常に不安定でした。
ルンゼを抜け階段状の岩場ともつかない所を30m登ると山頂駅の一角に達しコスミック山稜を終了しました。

後半の3分の1はルートを間違いすっきりした登攀はできませんでしたが、
前日の分裂後遺症を回復させるには役立ったようです。
この後、コーヒーを沸かし腹拵えした後、
15:30のケーブルでイタリア国境のトリノ小屋に向いました。

イタリア国境ヘノケーブル

次回は仏伊国境のトリノ小屋壁を投稿予定です。

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