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1469分の10。星生山への踏破記録

去る9月11日M会長の追悼登山を九重連山の星生山で実施した。       久住山に初めて登ったのは1969年10月10日。山行ナンバー2でここから52年間での1469回の山行を重ね、九重連山への回数は83回、星生山には10回目の登山だった。(写真は2021年6月)

2021年9月13日 R3年6月ミヤマキリシマ (2)

九重連山14回目の入山で初めて星生山に登っている。1984年2月11日長者原に入り。積雪60cm。すがもり越への路はスキー板を担ぐ人が多くいつもと違った。久住別れはガスで覆われ見通し利かず避難小屋で天気回復を待つが、ピーク登頂は諦め御池の避難小屋に向かった。目標を失ったようだ。着いた場所が久住別れであった。リングワンデリングをやってしまったのだ。どうにか空池北側を御池に出てひと安心したが御池避難小屋見つけるのも苦労し小屋入りしている。翌12日も天気悪しガス濃ゆし。中岳には植物保護のロープを頼りになんとか登頂。下山を決め久住別れへ。西千里から星生山を往復して牧ノ戸峠に下っている。牧ノ戸峠ではミゾレ。参加者9名、厳しい九重だったようだ。

2021年9月13日  29年8月奥村 (3)

二度目が1992年9月、初代Y会長の追悼登山となった。三度目も1993年7月Y会長一周忌追悼登山だ。四度目2003年9月もN氏の追悼登山となった。N氏は所属会の後見役的存在でマッキンリー(現デナリー)遠征への隊長を引き受けていただく予定の方で60歳での逝去であった。山を愛するものの九重連山への想いは大きく、追悼登山は星生山と定着した。

三度目は沢水から立中山~白口岳~星生山へ。四度目は長者原から指山~三俣山北峰~本峰~すがもり越~星生山に向かった。今このコースは登山禁止?となっている。大雨被害か事故防止かと思う。植物も豊かでこの保護があるかもしれない。

2021年9月13日 指山


2008月10月には大曲から星生山に直登する北西尾根を辿った。SNSで知り登ったが今は登山禁止だ。植物保護のためだろう。景観も良くまた来たいと思うルートであったが、止むを得ない措置だろう。

2021年9月13日  20年10月大曲から

2011年11月13日1000回目節目の山行にここ星生山を選んだ。息子と二人雨のなか立った。諸先輩を想いうに相応しい場所だった。

2021年9月13日  23年11月1000回登山

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2014年1月中岳~星生山。30年前と同じく御池避難小屋に泊まることにした。冬にしては比較的天気も良く、雪山を楽しんだ。

2021年9月13日 26年1月冬山 (2)

2021年9月13日 26年1月冬山 (3)

四度の追悼登山。2017年8月O先生の追悼である。高等学校の校長まで務めれた。山の思想に影響をいただいた一人である。

2021年9月13日  29年8月奥村 (2)

そして今年に入り6月ミヤマキリシマ観賞に、9月11日10回目の星生山が二代目M会長の追悼登山となった。ホームグラウンドの山々と回数比較にならないが、83回も入山している山々は九重連山しかない。

2021年9月13日 R3年6月ミヤマキリシマ (1)

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