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自慢の大先輩。登山の黎明期を飾った二人

所属する山岳会では素晴らしい大先輩の指導を受けることができた。山の素晴らしさを教えていただいた。私の山登りの原点である。見出し写真は43年前の創立25周年時の集合写真だ。紹介する二人もどこかに写っている。

一人は初代会長Y氏(平成4年逝去87歳)である。町名にその名を残しているほどの旧家の生まれで、同僚後輩からは「ガタさん」と呼ばれていた。同会の生みの親で旧制北海道大学で恵迫寮旅行部に入部し全道の名だたる山に足跡を残した。九州にY氏ありと言われたほどの登山家だ。20歳で入会した私はY氏の話が好きだった。御爺さんほどの年の差だったが新鮮であった。

追悼文集を飾ったY氏似顔絵の版画

山縣版画

もう一人は二代目会長M氏(令和2年逝去90歳)である。今日は祥月命日である。先生、先生と呼んでいた。旧制第五高等学校(熊本)から九州大学医学部に進まれ同大山岳部・山岳会の創設者である。本籍同大山岳会、現住所地元山岳会と思っている。九大がヒマラヤ遠征隊をダウラギリV峰に送ったときは隊長として参加、根っからの登山家だ。私が27歳でヨーロッパ遠征計画を打ち出した時は諸先輩が技量不足と引き止められた中、47歳の先生は後押ししてくれた。初の海外遠征は私を大きくした。

松村剣岳

先生の学生時代ホームグラウンドは阿蘇鷲ヶ峰である。先生68歳の時、最後の鷲ヶ峰に同行した。

図2

26日入山 (8)編集

酒席のお開きではY氏の北大寮歌「都ぞ彌生」を聞くのが楽しみで、M氏も時には旧制五高寮歌「武夫原頭」を披露された。地元での寮歌祭では最後の旧制学生として幹事を離れなかったそうだ。




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