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山登り人生VOL270さよなら国鉄宮原線と涌蓋山

1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始め今回の投稿になりました。

私35歳。奥様35歳、長女10歳、長男9歳、次男5歳の頃の山登りです。
昭和59年度の山行は19回、40日と回数は大きく減少しました。
仕事も浦頭引揚げ記念公園募金活動で超忙しかったし、
実父の動脈瘤での久留米大学病院入院、義母のギブス生活、
義父の仕事手伝い100日間と人生でも稀有な時期だった。

 今日の投稿は私の山日記からではない。
当時山岳会の理事長だったM医師は開業医で土曜日午後休診、日曜日休診。この一日半の休みで遠くは北アルプスに出掛けたり、九州内でも我々が予想しない行動で山登りを楽しまれていた。

私の山日記を振り返っていると、こんな報告が出てきたので寄り道します。

宮原線を利用して涌蓋山へ 

昭和59年11月22∼23日
M医師単独
22日佐世保18:22⇒23:09豊後森清流荘泊り
23日豊後森6:53⇒7;42麻生釣7:50→岳の湯9:00→11:10涌蓋山12:10→一目山
  13:50→筋湯14:50→15:20河原湯15:50バス⇒16:30豊後中村17:01⇒
  21:11佐世保

宮原線が11月30日で廃止になる。
豊肥線、高森線と共に、私の好きな路線で思い出も多い
なくなる前にもう一度乗りたいと出かけた。
鳥栖、久留米、日田と乗り継いで、夜遅くに豊後森に着き、清流荘という旅館に泊まる。

23日曇り。6年前に乗った時は、乗客は数人だったのに、今日は記念乗車券を持った人達が3分の2の席を満たしている。また沿線にはカメラを持った人達が待ち構えている。
宝泉寺を過ぎ急勾配になるとスピードがガクンと落ち、
殆ど止まりそうになる。
露で車輪が空転する。止まってしまうと、
車掌が降りて砂を撒くのだと説明していた。
麻生釣駅は、開業当初の洒落た山小舎風の駅舎もすっかり荒れて、物寂しい風情である。

去り行く列車を8ミリカメラに収めて岳の湯に向かう。
最初に来た頃のドロンコ道は立派な舗装道路となっている。
鉄道と自動車の交替を見せつけられる。

岳の湯には旅館民宿も出来て、はげの湯にとって変わった感じを受ける。
夫婦越のやや手前より右の方に車道が別れ、山頂より西に延びる尾根コースに行ける。尾根取付から40分で頂上着。

尾根コースよりはげの湯を見下ろす

風が強い。九重山群が良く見える。

昼食後、涌蓋越に下り、ミソコブシ山を越え一目山まで歩いて八丁原から筋湯に下った。
ここで温泉に入る予定がバスは河原湯止まりで更に歩く羽目になった。

ただし、バス停傍の町営浴場に入れたしビールも飲めたしで満足であった。温泉もバスも一人貸切であった。



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