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山登り人生VOL240市房山沢登りその2ユミキ谷

私34歳。奥様33歳、長女9歳、長男7歳、次男3歳

家新築入居も落ち着き、長女は小学4年生、長男は同2年生となり、
次男は幼稚園に通い始めた昭和58年度の山行は
32回、49日と回数日数とも大きく増加しました。
会活動は活発で春は北ア硫黄尾根から槍ヶ岳、韓国ソラク山、
冬は富士山合宿でした。
これらには不参加でしたが、
念願の屋久島に行ったり岩登り沢登りと楽しんだ年でした。
昨年に続いて市房山の沢に来ました。

No353市房山境谷・ユミキ谷 

昭和58年7月29~31日
S、Y、T、T女史、K女史、S君と私
29日 佐世保20:00⇒八代⇒槙の口登山者宿泊所02:00
30日 宿泊所6:00→境谷取付6:30→二俣12:00→立岩谷→縦走路14:00→
   市房山15:00→林道18:30→19:00宿泊所
31日 出発7:00→ユミキ谷取付7:30→終了12:00→13:00宿泊所14:30⇒
   22:00佐世保

『市房山東面最大の谷で、市房山頂に突き上げる本谷と、鋸尾根に突き上げる立岩谷、そして二つ岩に突き上げる二つ岩谷と、扇状に広がり広い流域面積を有している。その豊富な水量は深く狭く谷を削り、有数の連瀑帯を形造っている。遡行には1∼2泊を要しかなり困難である。谷の規模と言い九州を代表する谷の一つであろう。・・・』
八代ドッペル登高会の記録の一節である。
この記録を読んでから境谷への想いが募り、
昨年5月やって来たのであるが、
山の口谷遡行のみで終わり、今年またやってきた。

31日ユミキ谷遡行

前日一泊二日の予定で入渓した境谷が一日の強行軍で終わりバテバテで宿泊所に戻った。
そんなことで今日は予定になかったのだが、
元気なT君の提案でユミキ谷に向かうことになった。
写真はSNSより借用しました。

米良川との出合いは小さ過ぎの感じであったが、

入渓してみると滝の大きさ水量も適当で、
快適なシャワークライミングが楽しめた。
2~30mの滝が2~3か所、10m前後の滝が連続して
水芯に沿って登ることができた。
小道が沢を横切っている箇所で終了とした。

沢の核心部だけを楽しみ、あの嫌な藪漕ぎがない今日の遡行だった。
真下に米良川を眺めてグイグイと下る。
約束の時間に宿泊所に戻るとT女史が居ない。
もしやと期待しているところに、ビールを仕入れて戻って来た。
こんなに思いやりのある女性が会員とは幸せな私達である。

K女史の報告より

31日曇り ミユキ谷遡行
この日はT女史さんが留守番となり6名でユミキ谷に入渓する。

この谷は境谷より水量も適当で、
最初はとてもいい気分でシャワークライミングを楽しんだ。
Yさんは文字通り水を得た魚のように元気で、水量の多い所を選びながら精力的に登る。
真似をしていた私は、嫌と言うほど水を飲んでしまい、
もうYさんの後には付いていくまいと思った。

前日のハードな沢登りと日頃のトレーニング不足がたたって、
出発して1時間もしないうちに疲れが出て来る。
他は元気で付いて行くのに苦労した。
だんだん足許が怪しくなって5m程の滝を登った時、
中間付近でスリップしてしまう。
更にもう少しで滝の上に出るところで再度のスリップ。
一回目は無事だったが、
今度は下の方にあった木で
みぞおちや足をしたたかに打って頭から下に落ちる。
もう水は飲みたくなかったので顔だけは直ぐに上げたが、
血の気が引いているのが自分でも判った。

痛む足を引きずりながら高巻きして、皆と合流。また歩き出したが、心身共に疲れ果て実に良く滑る。
見かねてTさんがザイルを出してくれたので、それにすがるようにしてヨタヨタとついて行く。
後は終始Tさんのお世話になりながら、午前中で沢登りを終える。

ここからは乾いたまともな路を歩けると思うと元気が出て、帰路は何もなかったようにケロリとしていた。我ながら単純な体質だと思う。車道まで下り切った所で、Sさんが一人車を取りに行って下さる。
そのタフさと思いやりに頭が下がる。

このユミキ谷は私にとっては決して快適ではなかったが客観的に考えると、適量な水量で手頃な滝が連続し、かなり楽しめるルートだと思う。
ただ個人的には、暫く水際には近寄りたくない。

最後に同行の皆さんには、ご心配をかけてしまい申し訳ありませんでした。

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