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日本百名山の歩み㏌よっちゃん9座目剣岳

剣岳にはこれまで6回入山しています。タイトル写真は1975年5月のもの。

1回目No160剣岳1974(昭和49)年9月4名の記録。

9/06 佐世保10:50⇒21:40大阪23:10                  家族の見送りを受けて特急かもめで出発。三度目の正直で剣岳山行となる。大阪で急行立山に乗換える。指定席は取れなかったが、どうにか着席。

9/07立山7:00⇒美女平7:40⇒8:30室堂11:55(雨のため様子見)→雷鳥小屋12:45→剣御前小屋15:00→15:30剣沢ベース設営
富山電鉄を併設してあり富山で乗り換え立山まで向かった。ケーブル、高原バスに乗り継ぎ室堂に8:30頃到着。しかし、天気悪く強風に雨となる。バスターミナルで様子を見るためツェルトを出して寝ていたら職員に注意される。雨はまだ強くガスも酷いが、昼食を済ませ12:00出発する。ガスの中、地図を頼りに雷鳥沢に下る。ここから一本道の急登である。雨は上がったので雨具は脱いだ。荷重は27~30kgであった。1時間チョットで急登は終わり、剣御前小屋に着く。峠近くは強風で、身体まで吹っ飛びそうである。佐伯栄治さんは居なかったので、三田平に下る。テント場は、剣沢小屋上のテント場管理事務所がある小高い丘の後にあった。                   風、雨ともいくらか納まり、素早くテントを張る。管理事務所に栄治さんを訪ねたが、ここにも居られなかった。しかし2~3日したら登って来られるとのことで、前田さんからのお土産長崎物語をことづけ登山届を提出した。
 夕食も早く済ませシュラフに入るが、再び風雨が強くなる。22時頃には最高潮となり、天気図を戎君が出そうとした途端、北側のポールが真ん中からクの字に折れてしまった。続いて10~20分ほど経った頃、南側ポールも大した風でもなかったが折れてしまった。屋根の低いテント暮らしの始まりとなった。雨の中をいくらか補修し再びシュラフに入るが、強風雨で全員、熟睡できなかった。

9/08雨停滞(台風18号) 起床6:00 食事10:00 夕食18:00 消灯21:00   今日もまた雨風が強い。この天気は、南方を北上中の台風18号のため日本海の前線が活発化しているもので、まだ当分は続きそうである。雨が降らない時を見てテントの補修、側溝の整備、風除けの石垣を作り万全を期する。これで昨晩のようにテント内に水が溜まったりはしないだろう。気温も下がり6度C前後である。剣岳の全容はまだ拝めない。時折、源次郎尾根、八ツ峰の岩稜が望まれるが、明日の天気も望めないし諦めの心境である。天気図も好天を示さない。台風の動きが遅く長引きそうである。

9/09平蔵谷 起床6:30 食事8:30 
出発10:00→平蔵谷出合10:30(トレーニング昼食)11:30→平蔵谷→平蔵避難小屋13:30→カニの横這い付近で雨のため引き返す13:45→平蔵避難小屋14:15→剣山荘15:25→15:40BC                         今日もやはりダメである。ガスが剣を覆っている。メンバーの一人が痺れを切らし、近くの雪渓でアイゼンワークの練習に行くと言う。一人ではさせられないし皆で行くことにしたが、再び雨が降りだしテントに戻る。リーダーシップが足りないのであろうが、このような単独行動は困ったものである。
天気も回復したようで、10時テントを出る。風はまだ強い。剣沢雪渓は、どうした現象か知らないが真ん中に土が盛り上げって滑りでもしたら真っ黒になってしまう。出合付近でトレーニングと思ったが、天気も気になるし思うような場所がなく、真似事だけして平蔵谷に入る。真っ直ぐに伸びた雪渓で、傾斜は急である。
雪渓を過ぎるとちょっとした岩場があり、後はガレで岩雪崩でも起きそうな不安定な所が続く。2Pで避難小屋に着く。暫く休んだ後、本峰に向かったが風強くカニの横這いを過ぎた所では吹き飛ばされそうになったので引返した。
            ……   ……   ……
 
この日以降の詳しい記録なし。タイムのみ。

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9/10源次郎尾根→剣岳→長次郎雪渓 起床5:00 
出発→剣沢小屋6:35→平蔵谷出合6:55→取付き7:30→F38:50→Ⅱ峰11:35→懸垂下降終了12:05(源次郎尾根)→12:50剣岳13:15→熊の岩14:40(長次郎雪渓)→長次郎出合15:20→雪渓終了16:15→16:50BC

9/11八ツ峰→長次郎雪渓 起床5:00                  出発6:30→長次郎出合7:05→ⅠⅡルンゼ水場9:00→ⅡⅢコル10:00(八ツ峰下半部)→ⅤⅥコル12:00→ⅦⅧコル13:50→雪渓14:30→熊の出合14:45→長次郎出合15:25→17:00BC

9/12 BC撤収→平蔵避難小屋 起床6:00 
出発9:40→剣山荘10:25→一服剣10:55→前剣11:50→12:40平蔵避難小屋→水汲み14:00∼14:40平蔵避難小屋

9/13 早月尾根→馬場島 起床4:40
出発6:15→早月尾根下降点7:40→2600m地点8:00→8:45伝蔵小屋9:40→1800m地点10:30→1000m地点11:55→12:40馬場島管理所13:40(入浴)⇒(タクシー)14:20上市15:26⇒(市電)15:46富山16:01⇒  9/14 佐世保帰着

2回目・3回目春山合宿剣岳八ツ峰と小窓尾根

2回目No179春山合宿剣岳八ツ峰 1975(昭和50)年4月25日~5月3日 2名
早月尾根→剣岳→剣沢→別山尾根→雷鳥沢→室堂

3回目No266春山合宿剣岳小窓尾根 1979(昭和54)年4月27日~5月4日 3名4/27佐世保⇒
4/28富山⇒馬場島→白萩川右岸
4/29小窓尾根→ニードル手前
4/30~5/1停滞
5/02三の窓→剣岳→平蔵小屋
5/03剣沢→室堂
5/04大阪⇒佐世保⇒黒木⇒佐世保 二日間の厳しい停滞が思い出されます。

1979年剣小窓頭 002


4回目No299春山合宿剣岳眞砂BC 

三の窓尾根・八ツ峰・別山尾根・黒部別山・内蔵助平・黒部ダム       1981(昭和56)年4月28日∼5月6日 8名

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4/28 佐世保⇒
 4/29美女平⇒雷鳥沢     4/30剣御前小屋→真砂BC
 5/01三の窓尾根、表層雪崩の危険を感じ途中退却
5/02八ツ峰上半部→長次郎沢→BC
5/03黒部別山往復
5/04別山尾根→剣岳→長次郎沢→BC撤収→黒部
5/05黒部で山縣会長の出迎えを受ける。大町へ下山
5/06佐世保    思い出多い剣岳合宿でした。

1981年剣岳 003

1981年剣岳 004

1981年剣岳 002

1981年剣岳 001


5回目No629剣岳合宿(ヒマラヤ・サトパント訓練合宿)  

1996(平成8)年5月1∼6日 10名                    5/1 佐世保21:30⇒
5/2 立山駅11:00⇒室堂13:00→剣御前小屋16:00→18:00剣沢BC
5/3 雪上訓練9:00~11:30
5/4 出発4:00→別山尾根→剣岳6:40→平蔵谷→11:00剣沢
5/5 出発7:00→剣御前小屋8:00→室堂9:30⇒14:00立山駅
5/6 佐世保7:00  残念ながらサトパント登頂はできませんでした。


6回目No1302剣岳別山尾根  

2019(令和元)年8月15∼20日 4名。まだ2年前の記録で詳しく残っています。

8/15佐世保18:50⇒新名神・北陸道⇒
8/16立山IC⇒立山駅前駐車場・ケーブル駅9:20⇒美女平⇒10:15室堂(雨待機)12:20→13:25雷鳥平(幕営) 
8/17出発6:15→8:15剣御前小屋8:40→9:20剣沢(幕営BC)
偵察10:10∼12:20(源次郎尾根取付き) 
8/18出発4:30→剣山荘5:00→一服剣5:30→前剣の門6:30→平蔵の頭7:10→カニのタテバイ7:35→8:10剣岳山頂8:40→カニのヨコバイ9:10→前剣山頂10:10→一服剣11:00→剣山荘11:30→剣澤小屋12:00→12:10BC 
8/19出発5:40→剣御前小屋6:30→雷鳥平7:40→9:00室堂9:50⇒美女平10:40⇒10:47立山駅・民宿千寿荘風呂11:30⇒12:00道の駅立山あるぺん村⇒立山IC⇒北陸道・新名神⇒
8/20佐世保2:50          総走行距離2,140km 会費30,000円

山口、長野両名にとって素晴らしい北アルプス岩の殿堂剣岳になったのでないか。天気の変化は激しかったが雨風の間隙を縫って剣沢に入れたのが大きかった。18日は最高のアタック日和になった。大勢の登山者が一斉に動いたので別山尾根は大賑わいだ。今年の冬山八が岳でも年齢を感じたが、今回は山口、長野君らに助けられた。メンバーの年齢は40代、50代、60代、70代の各一名だ。それぞれ20歳若ければと思ったりした。剣で新人を含めた合宿は15年前のチンネ以来であるが、私の参加になると実に1981年5月以来38年振りである。故森さんが52歳で最年長、メンバーは20~30代の6名だった。70歳にして再び剣の頂きに立てたのは嬉しかった。次に立つのは何時だろうか。若い会員が誘って来るのを待つのみか。いやいや率先してと思うが年齢は正直である。先輩方が先がないと言っておられたが、最近は実感するようになった。
出発前、台風10号の動きが気になった。直前まで悩んだ末に予定通りとして、10号を追いかけながら富山に向かう。強風圏が広く日本海に抜けた後も、中心から東側は雨雲が点々としている。スマフォで雨雲予報が判る分、悩ましい。ただ期待したのは晴れ男がいることだ。天気が悪いせいかマイカーは少なく立山駅近くの駐車場に停めることができた。ケーブルカーやバスは動いているのかとも気にしたが流石観光地、大勢の団体客が乗り込んだ。視界が利かないなか室堂に到着。外は雨で風もある。ここまで来ずに立山駅周辺での幕営が正解だったと悔やんだが、2時間程待機すると雨が止んだ。動ける。風も納まっている。途中雨具も脱いで雷鳥平入りした。不眠不休の運転のため行動は短めにしていたので予定とおりである。夜は豪勢に焼肉だ。山口さんの食料計画は楽しみの一つでもある。明日の山予報は好転の兆しもあり、期待を持って就寝とした。

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17日朝、雨は降っていない。濃霧だ。剣御前小屋2750mまでは標高差480m程である。一気に登っている。他の3人より荷は軽いはずだが足取りは重い。まあ佐世保なら烏帽子岳までと言い聞かせボチボチと着いて行く。小屋に立つも視界はない。剣沢のキャンプ指定地も望めない。しかし風がなく雲は薄い。下るにつれ雲下となり視界も開けて来た。3時間程のアルバイトでBC2525m入りした。疲れた私は残って他の3人は剣沢を下った。明日の源次郎尾根取付きの偵察である。戻って来た藤原サブは別山尾根に変更を告げた。岩場も濡れていて無理と判断したようだ。明日は4人揃って別山尾根だ。今日はついに剣山頂は顔を出さなかったが、源次郎尾根や八峰の岩峰は良く見えた。久し振りの剣沢BCに私も藤原君も大いに酒がすすんだ。長野君の感嘆の声に、こちらも嬉しくなる。周りのテントも随分と増えて来た。山口さんが指導員資格取得の際にお世話になった福岡県岳連の寺崎指導委員長が直ぐ近くに幕営していた。山口さんが気づき声を交わした。剣沢での出合いを喜んでいる。少し飲み過ぎた。酒焼酎が3パックもあるから減らせ減らせである。明日の山予報はA(登山最適)。安心して就寝した。

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二日目 (4)

18日夜明け前に出発する。剣山荘辺りでヘッデンは不用となり一服剣2618mで夜明けとなった。唐松∼五龍∼鹿島槍ヶ岳の稜線がくっきりと見える。一旦下って前剣への登りである。春は急峻な雪壁となるが夏は急なガレ場でジグザグに登る。尾根に突き上げ標高2800m手前から山頂には立たずトラバースした。前剣北端に来ると前剣の門と言われる鎖場である。

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手前にはアルミ橋があり鎖場をトラバースする。この辺りに来ると登山者で混雑である。ツアーグループも目立つ。平蔵の頭への登り下りとなかなか進まない。ベテラン風な人が盛んに解説している。のんびり登るので疲れもせず景色を堪能できる。平蔵のコルを少し下り、いよいよ「カニのタテバイ」、フン詰まってしまった。自己ビレイを取りながら登っているツアー客。ガイド2人で10名程を案内しているようだ。技量がない者は来る資格がないと声を出してグチル人、言いたくなる気持ちも判るが言ってもしょうがない。黙って待つしかない。我々は写真を撮りながら快適に登る。タテバイを過ぎ真上を見ると早月尾根分岐の標識が見える。懐かしく思える。                山頂もおお賑わいだ。記念写真を撮るのも順番待ちだ。

100 (7)目隠し

360度の大展望。2年前縦走した白馬岳∼不帰キレット∼唐松岳もはっきりしている。名前を言えばきりがないほどの展望だ。後立山、水晶岳、鷲羽岳、槍ヶ岳、笠が岳…。富士山も見えたはずだが。
 一番は手に取るように見える早月尾根、剣尾根、小窓尾根、北方稜線、八峰上半部の眺めだ。山頂を離れ難い。まだまだ後続の登山者が山頂にやって来る。席を開けようと後にした。

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100山頂眺め八峰 白馬

下りがまた大変である。ツアーガイドが譲ってくれたので助かったが、カニのヨコバイは大渋滞である。次の長い梯子を下ると平蔵の避難小屋だが、すっかり壊れていた。平蔵の頭に登って振り返ると、まだ先ほどのツアー客はヨコバイを下っていない。

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登りの際には割愛した前剣山頂に立ち寄った。何度眺めても見飽きない眺望を、ここでも楽しんだ。一人の登山者が休憩していた。多分ツアー客で登る元気がなく皆を待っているのだろう。天気がいいから問題ないが、こんなことをしていいのだろうかと疑問に思った。一服剣でも景色を楽しんだ。

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剣は良い。改めて素晴らしさを堪能できた。

次は10座目韓国岳、11座目開聞岳、12座目木曽駒が岳を投稿します。


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