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山登り人生vol201良く通っています多良山系八丁谷

私32歳。奥様32歳、長女7歳、長男6歳、次男2歳
昭和56年度は8年振りの職場異動からスタートし、
奥様の再就職・運転免許取得など多忙な日々のなか
10月には奥様はタクシー乗車中に交通事故に遭い後遺症が残りました。
この年度は月2回ペースでの山登りで25回47日の入山でした。
冬山合宿も終わり今年度三度目の八丁谷へ。

No319二度目5年振りの八丁谷右俣


昭和57年1月17日 M社長、T先生夫妻と私
黒木10:30→右俣取付11:00→終了(縦走路)14:30→15:30金泉寺16:00→17:30黒木
萱瀬ダム横の車道は雪一色であったが、
ほかは大したこともなく黒木まで入ることができた。
山に入っても積雪はない。
右俣取付でアイゼンを着ける。
F1は5年前しっかり氷結して階段状の棚をフリーで楽に登れたのだが、
今日は氷も薄く嫌な付き具合である。
左側から中央に寄って途中ハーケンを1本打つ。
この後、滝場がいくつかあった気がしたが、
5年前の記憶は当てにならずブッシュが多かった。
面白い沢と誘って三人には悪い気がした。
最後の方で記憶に残る滝が現れた。
氷でなく雪に隠れ登り辛かった。
久しぶりのアイゼン登攀で皆さんお疲れモード。
3時間半と思わぬ時間を食って縦走路に飛び出した。
結局、氷結していたのはF1だけだった。
金泉寺小屋でのんびりと目論んでいたが、そうはいかないようだ。
とりあえず小屋に向かった。

初代金泉寺山の家

S君が職場の仲間と来ていた。
野田のおばさんに、日頃の御無沙汰をお詫びし新年の挨拶をした。
造船不況以来、小屋を訪ねて来る人が少なくなったと嘆いておられた。
遅い昼食を済ませ16時過ぎに下山した。
陽もすっかり沈み、充実の一日を終えた。

No320氷瀑の左俣ルンゼは九回目

昭和57年1月31日 T先生夫妻、I、T君と私
黒木9:50→取付10:30→終了14:00→黒木
通うこと27回目の八丁谷左俣ルンゼだ。
この時期は9回目、
氷結しているか心配であったがしっかりと氷結していた。
2パーティーでザイルを組み取付く。
F1は右側を登る。
入会当時からすればなかなか氷結に恵まれないが、今日は良かった。
逆層は左側を、チムニーは二番手になったので不安定となる。
上部のスラブは快適な氷を楽しんだ。
大滝は何度か登下降の練習ができそうだ。

無雪期、最後の壁。もう氷結することはないのか?

アイスハーケンを打ってみると、5cm程の厚み半分程で岩に当たる。
昼食後、最後のスラブは3cm程の厚さで、時折、落氷となって後続を襲う。
最後の壁はバッチリ。
チムニーを登る気でいたらT君パーティーが先行し、ノルマルに取り付く。
T君初めての氷の感覚を掴んだようだ。
小雪が降り出し中岳も隠れてしまった。
登攀が終わり右に小さな尾根を越えてトラバースし、
中山越からの登山路に飛び出した。

グ0グルアースを編集

当時の写真がないとイメージが沸かない。
昭和までか?
左俣ルンゼは良く氷結して、アイスクライミングを楽しむことができた。
平成になりアイスクライミングを楽しめたとの話は聞かなくなった。

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