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山登り人生vol73相変わらずの多良通い

26歳。娘1歳。
昭和50年、県内では海外登山への関心が高まっていました。
県山岳連盟内には海外登山研究会が発足し、
年4~5回の会合が開かれていました。
所属する会でも私をはじめY会長、M医師など4名が参画していました。
我々の関心はヨーロッパアルプスでした。
期日、メンバーのみの山日記には、相変わらず多良山系が続きます。 

多良岳と中央奥に経ケ岳

No180第5回県登山大会(経ケ岳二つの沢) 
 昭和50年5月17∼18日 多数
 二つの沢とはどこでしょうか?
  不明ですが、一つは大払谷かも?

No182経ケ岳八丁谷左俣ルンゼ~南壁 
昭和50年6月15日 10名
 ヨーロッパアルプスの勉強会が進んでいましたので、アイゼン登山、ユマール利用など熱が入っていたかも。

No183登山とキャンプ(小嶽小屋~経ケ岳) 
昭和50年7月19∼20日 50名
会員拡大を目的にいろいろ取り組んでいました。
小屋泊りやキャンプを体験いただき翌日登山だったようです。
よく集まっていますね。

小嶽小屋前の広場

※不参加でしたが会では奥叉白をベースに岩登合宿が前穂高東壁7/26~8/3が実施された。
ヨーロッパアルプスの機運も高まりました。
昭和51年夏実施に向け動きだします。

昭和51年7月ミディー針峰から見るモンブラン


 

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