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山登り人生vol28Y会長と歩く

22歳、地元山岳会入会2年目、新人を迎える立場に。
北海道大学山岳部創設者の一人、Y会長と歩いた新人歓迎の登山.

No48新人歓迎登山(八丁杉∼金泉寺∼経ケ岳)

昭和46年5月15~16日 
Y会長、新人3名他 計7名
15日 結局、土曜日から入山するのはY会長と二人となった。
    13時一足先に、私は女子高生3人を乗せ黒木に向かった。
    八丁杉まで入り女子高生は金泉寺に登る。
    一人テントを張りのんびり過ごす。
    16時天気図を書き夕食が終わるとすることもなく、
    シュラフの上に横になる。
    2時間も寝たのだろうか、呼ぶ声で起きた。
    21時会長が来られた。「君だけかね。」
    直ぐお湯を沸かし、お茶を飲んでいただく。
   23時頃まで会長の北大山岳部時代のことや、
   登山を始めた頃の話を伺った。 

会長の話を聞くのは楽しみの一つだった。
  会長はシュラフカバーのみで寝るとのこと。
   自分のフェザーを勧めたが断わられた。
   私22歳、会長66歳。

16日朝から冷え込む。ラジュースに火をつけ暖を取る。
    朝食を済ませ再び会長の話に耳を傾ける。
    会長の話は知らない事ばかりで含蓄があり面白い。
    テントの中にいると長崎のパーティーが会長に挨拶に来た。
「今から左俣ルンゼに入ります。」「気をつけて。」
    会長は県山岳連盟会長でもあった。
    9時過ぎEさんや新人3人がやって来た。
    テントはそのままにして金泉寺に登った。
    金泉寺からは多良岳から一の宮の稜線を歩いた。初めてのコースだった。
    2時間程で金泉寺に戻り、中山越に向かう。会長も元気である。
    中山越で会長らと別れ経ケ岳に向かった。
    会長らは一足先に下山し16時のバスで大村へ。
    経ケ岳組も早々に登り
    八丁杉でテント撤収して追いかけ大村駅前で合流した。
 
会長は北海道大学山岳部の創設者で北海道の山で活躍され、
卒業と同時に佐世保に帰省された。
1953年地元山岳会会長、1962年長崎県山岳連盟会長に就任され、
日本山岳協会でもその名は通っていた。
私らはそう呼ぶことはなかったが
「ガタさん、ガタさんと」親しまれていた。
この山行の後も数多く山を一緒しご指導をいただいたが
1992年7月9日ご逝去された。享年87歳。

もう31年も経ちました。いろんな先輩が旅たちました。

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