無題

 先日ふと小説が作りたくなり、数百字程度の掌編を勢いのまま書き上げて勢いのまま公開した。
 承認欲求ばかりが肥大し、自己肯定感と実力が全く伴っていない自分のような人間にとって、なんらかの作品を公開することには常に自己嫌悪と羞恥心が付きまとう。動画を公開すること、小説を書くこと、スライドを作ること、日記を綴ること。
 たいてい翌日には(主観的・客観的な作品の品質とは関係なく)自分の作ったものがたまらなく恥ずかしくなり、今すぐにでもこの世から消し去りたくなる。

 今までnoteに公開してきた記事たちについても同じで、いっそアカウントごと削除してしまおうかと考えることも少なくない。そのくせ何を書いていたかは仔細まで覚えているから忘れることもできず、ずっと苦しむことになる。
 こうして言語化してみると、いよいよ辛い思いをしながら稚拙なものを世の隅に吐き出し続ける利点がなさそうに思えるし、実際自分がなにかをする理由なんて「これぐらいなら自分でもできるだろう」という先駆者たちを侮った感情に拠るものが大半なので、これなら何も公開せずに自分の承認欲求を抑え続けるほうが幸せなようにも感じられる。
 とはいえ、創作に向き合う時に自分の中で純粋な好奇心や楽しさがあることも嘘ではない、と思う。
 この感情がある限り、自分はずっとこういう風に短絡的なものを世に出し続けるんだろうし、なんだかんだそれを否定したいとは思えない。

 今まで書いてきた記事は、そのほとんどが一日と経たないうちに自分の中で嫌な記憶に成り下がっていた。今回もたぶん同じだと思うけど、この文を書きながらいま感じている肯定感はいつまで続くだろうか。

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