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コレからの人間の楽しみ

近年AIの進歩は著しく
成田悠輔氏によれば、 
将棋の羽生善治氏との対談の中で
学術論文もそれを査定する部分も
AIになり代わりつつあり
もはや
研究者もそれを査定する機関も
必要なくなると。
人間ができることは
むしろノイズや
誤動作が混じったことで
錯誤行為でしか人間としての価値が見出せないと言っているように聞こえた。

その理解の正誤はともかくとして
将棋やチェスなど
人間の脳のバカし合いみたいなゲームで、人間を遥かに超えてしまうのは、大昔の「メーツェルの将棋指し」でも既に予言されていたが、
誰が
音楽や絵画などのアート作品まで
AIが出来るようになるなど想像したか?

そもそも考えると
もう既に
アート表現は飽和状態になっている
1980年代生まれと仮に仮定したとしても
1900年代の初頭あたりから
も爆発的に生み出されて80年は経過していて
それ以前も
ハッキリ
アートとしての認識で数百年、
後付けでアートになったものまで含めると数万年まで遡って
積み上がったアートの歴史があって
仮に人生が100年あったとしても
その全てを網羅して体験することは出来ないし、
人間の側でも
例えば
一生のうちに同時代の全人類と出会うことは出来ないし、
例え会えたとしてもその一人一人を覚えていられないのと同様で、
脳にはキャパがあって
コンテンツは無数でも
一人一人が取るコンテンツの数は
多少の個人差はあれ結構少量にしか
享受できないことを考えると、
飽和状態のアートコンテンツでいま
アナクロ的な現象が多く見受けられるのは納得がいくような気がする。

親など、上の世代が影響を受けたものに手取り早く感化されるのだ
だから昭和アイドルやら昭和歌謡曲、バブル時代のシティポップが再燃している。

コンテンツが無数に広がる中
AIの進化により
一定数の人間の脳の退化が始まり
クリエイトはおろか
新しいコンテンツに対する
理解が殆どおぼつかなくなってくると予想され
あと100年くらいで
HGウエルズが「タイムマシン」で予言した
未来の人類は
白痴化したエロイと
野蛮化したモーロックの
2種類しかいなくなるなと

デジタルで置き替えられるものは
さておき
お祭りやら伝統行事など
又は旧態依然とした組織など
実存を伴うもので
いろんな不具合と人間関係のハレーションが発生するものを
いまのウチに味わい尽くしておこうと逆に思うのだった。

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