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音は死なない

最近
音の編集とか
動画の編集とかやっていて 
ふと

昔、
鴻上尚史がテレビで言っていたことが脳裏に去来してきた  

鴻上尚史は演劇人で
インタビューの中で舞台演劇を 
一言で表現するならとして
「舞台は生(せい)の祭典」と言い

対比として
映画とかテレビその他の映像作品は
「死の祭典」と表現していた

舞台は生身の人間の
今まさに、その心臓の鼓動を
躍動を息づかいを
そしてニオイや風が感じられる

対して映像作品は
とにかく撮った瞬間から
過去の虚像と化す
遺影を見ているのと変わらない
過去の姿なのだと

なるほどそうかもしれない

映像技術が進化して
どんなに解像度が増して行っても
絵画を観ているのと同じような
時間の経過を感じる

はて?

録音は?

最近、
坂本九の歌をYouTubeで見たのだが
動画と言ってもレコードジャケットの静止画にLPレコードの歌が流れると言う仕様のもので

ヘッドホンで聴いていると

坂本九のまさに
生きた息づかいが聴こえてくる

不思議と
映像でアップされているものだと
それを感じない

視覚が邪魔している

音は録音した瞬間から
物理的には過去のものとなっても
聴く人の中で鮮度を保ち
その時その状態のまま生き続ける

そんな思いが込み上げてきた

お祭りやら
自然の音やら
街のノイズなどを録音するのは

昔、坂本九がレコーディングしたように
LPレコードの溝にその息づかいを
封じ込めだように

お祭りの息づかい
自然のいぶき
街の鼓動を

生きたまま録音機に封じ込めて
未来に送るタイムカプセルを
作っているようなものだと

なんとなく

上記の録音はもちろん
録音技術がある程度発達した以降の録音に限定される

さすがに終戦の玉音放送に
生を感じることはない

映像作品を
否定する発言でないことを
おことわりしておきます

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