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平和台球場とライオンズ

かつて福岡にライオンズがあったことは
存知だろうか?

西武ライオンズの前身の球団である。

全盛期は
西鉄ライオンズで
巨人を打ち負かして3年連続日本一に輝いた
伝説の球団だ。

鉄腕稲尾
怪童中西
青バット大下
仰木
豊田
関口
高倉
などなど

野武士集団と呼ばれ
巨人のスマート集団と好対照だったのと、
巨人を追われた三原監督の巨人への復讐劇も
判官贔屓な博多っ子気質と相まって
大人気を博した。  
巨人を破って3年連続で日本一になった年
シリーズ最終戦まで連投した稲尾は
神様仏様稲尾様
の流行語になったほど。

その後
日本のプロ野史上の大事件
黒い霧事件が起こり
西鉄の選手も多数処分され

そしてオーナーの西鉄も球団を手放す。

その後
太平洋クラブライオンズ
クラウンライターライオンズ
とオーナーを転々とし

終いには西武に身売りして
あえなく埼玉に取られてしまった。
(福岡県民目線)

その後
1988年にダイエーホークスが来るまで、
福岡はプロ野球球団不在の状態だった。

私は
太平洋クラブライオンズの最後の方と
クラウンライターライオンズの試合を
数回。

ライオンズが去ってからは
他のパリーグの球団の公式戦がある時など、
平和台球場へ行っていた。
(やっと球場のハナシ)

福岡市の繁華街の天神から
歩いていける距離にあり
途中には
福岡城址のお堀と桜並木があって、
春には満開の桜、
夏には、お堀に大ぶりのハスの花が咲き
四季の息吹と縁日の空気が
都市空間の中に共存した
素晴らしい立地の球場だった。

ダイエーが来て数年経った時
球場付近から歴史的な遺跡が発見された
太宰府政庁時代の迎賓館で
鴻臚館

ダイエーホークスも
ドーム球場を建設予定だったので、
平和台球場の取り壊しも確定事項となった。

西鉄ライオンズの全盛期も
風光明美な平和台球場も
当時を知る人が少なくなってきて
急速に忘れ去られつつあるが、
今でも
平和台球場の歓声が耳の奥に残っていて
離れません。

また再び
球団や球場を手放すことがないように
九州の皆さん
ソフトバンクを応援し続けましょう〜
(それな)


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