いま放送の朝ドラに関するこれ以上ないくらい浅い考察。


単なる個人的な感想なので
基本スルーでお願いしたいかと
この件でご意見がある方はご自身の記事で展開お願いします
単にコメントにリプライするのが面倒なだけ?


この件
ネットの記事を見ると
「〇〇反省会」と
銘打たれた書き込みはほぼ批判する内容が散見さるる

一部では
「コリャ炎上商法じゃないか」と
まことしやかな陰謀論を唱える人もいたりして、盛り上がってるのか盛り下がっているのかよくわからん状況

そんな折
ネット視聴者参加に貢献したとの理由で、ドラマのスタッフがNHK内部で社内表彰を受けていたり
どんな盛り上がり方をしているか?についてはさほど問題じゃないらしい

にしても
近年稀に見る炎上ぶりで
出演者スタッフともに、この状況をどのように捉えているのか少々興味が湧いてきた

イライラする部分は
ネットに書かれているコメントの通りにワタシも同じ箇所に共感していて

内容的には
なんどもなんども
同じ失敗を繰り返す特定の登場人物
あり得んような行動をしても
アッサリ許される流れ
とてつもない苦境も
スッと誰かに助けられる
勧善懲悪的図式

異口同音に
「そんなわけないやろ」と

行き違いのもどかしさ
とか
「バカやね〜」みたいな言動

先読みが容易なストーリー展開   

などなど
ネットで批判を繰り返す人たちは
「視聴者をバカにすんな」的な
内容の薄っぺらさに裏切られた感を強く抱いているようだ


それは
見方を変えると
わかりやすい構造をしている
と言うことができる

問題はその
「わかりやすさ」を
創出する際の作者の四則演算とその隙間に入り込むノイズの含有量なのだ

ドラマの全体像構築で
要素を積み上げる作業
その時そのシーンで
一番強調したいディテール
そのために不用な部分を
削ぎ落とす作業
出演者スタッフを通して
どお変化するか?

視聴者の目線の設定は?

視聴者の感想は?

などなど


本土返還50周年記念ドラマ
と言うことで
マッサンを手掛けたこの作者は
沖縄に何度も取材に行ったとのことで
その空気感や沖縄の現在と過去の姿を肌で感じてきて
おそらく
沖縄に住む
又はその時期に沖縄を離れた
主人公とか、その親の同世代に向け
捧げるつもりで書いたのでは?

65歳以上90歳くらいまでの
高齢者

いま
NHKとその他民放で制作されているドラマは
割とストーリーや設定が複雑なものが多い。
デジタルネイティブ世代などは
子供の頃から複雑な設定とストーリーのゲームに打ち興じてきて、ちょっとやそっとのギミックでは満足しない

テレビドラマがその環境の中で
複雑さを意識することは必然なのであって
10代から50代の現役世代の多くは割とどんなコンテンツでも
見ていくうちには理解できているのうに思われる

昨今の朝ドラも例外ではなく
雰囲気で受け入れられないと
よくよく意味の分からないものも
たびたびあった
今回のようにモデルが存在しない作品では特にその傾向が出るように思う

水戸黄門や遠山の金さんみたいな
勧善懲悪の図式は唐の昔に廃れて
それでも残りつづけていた水戸黄門の放送終了時には時代の終わりを感じた
残っているコンテンツがあるとしたら幼児向けの戦隊もののみ

これは
バカにした発言でないことを
前置きした上であえて言うなら
あくまで私の推測は

ドラマで描かれる
喜怒哀楽の人間の感情を
グラデーションを出来るだけ排除して原色で、わかりやすいデザインにすることで
先に述べた沖縄のある一定層にも
入って行きやすいカタチにしたかったのでは?

作者の想いはあくまで
沖縄の人に捧げる
沖縄の人に届ける
高齢の沖縄県民に分かりやすく伝える

推測の方向性の
正誤については別な議論として

ひと昔前の
韓国ドラマの様式にも似ている
無理な設定のパターン化
無理な展開のパターン化
物語をひっぱるために
突然登場する邪魔者
記憶喪失、事故、実は近親だった
実は他人だった、身分の差にあえぐ
などなど
しかし
この手本になっているのは
実は昭和の頃の日本のドラマだったりする

いづれにしても
ドラマ制作にあたっては
ペルソナの設定を必ずする


このドラマに関しても
想定したペルソナのもと
作者の一定の想いがあることは確か
しかしその想いは
一周まわることなく
反感だけが熱暴走してしまった

作者以外に
実際のライターは複数体制とのこと

作者の意思が他のライターに
十分に伝わってない可能性も指摘できる

もしくは誤解が生じたまま
誤解を修正できないまま
進行している?

当然ながら
ディレクターも複数いて
ライターが複数と言う状況のなか
あらゆる整合性が十分に取れないまま次から次に作られているのは?

もっとも
複数の作家
複数のディレクターでも上手くいくケースもあるので一概には言えないが

先に述べノイズの含有量と影響の仕方が問題

作品が成功しても失敗しても
出来上がったものには
必ず一定のノイズが入る

ノイズが無いから良い作品になると言うわけではないし

逆にノイズがあったから
駄作になったともならない

ノイズはつきものなのだ

ここで言うノイズとは
阻害要素であったり
影響を与えるもの全て
作者の思いが全て余す事なくカタチになるわけでは無いと言う意味合い
先に述べた
四則演算が及ばない部分も含む

いくら
出来上がりを想定した計算をしても
あいだに差し込むノイズの影響で
作品はいくらでもいろんな方向に転がる

今回はたまたま、色々ノイズのもと視聴者の想像をはるかに超えた薄っぺい仕上がりになり。
それが原因して炎上しているように思う

分かりやすさを追求したあまり
理解されないというジレンマが生じた結果に

分かりやすさ
と言うキーワードは
諸悪の根源のような気がしてならない


ごくごく浅はかな
結論で締めることにする。

以上

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