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名取さなという星をめぐる旅。そして、

放課後のプレアデス、という作品をご存じだろうか。


ゴタゴタがあった時期のガイナックス、スバルとのタイアップ、最初に公開されたYoutube版など話題自体はあったように思うが……TVシリーズの動きが再開されたとき、興味を持っていた人は多くはなかったのかもしれない。

よければ主題歌である鹿乃さんの「Stella-rium」を聴いて、感じるところがあればTVシリーズを見てほしい。

スバル、そしてプレアデスという単語で察する方もおられるだろうが、この作品は宇宙と密接に関わっている。
主人公である少女たちは、魔法のホウキで、ソラを飛ぶのだ。

この物語における主要な人物は皆、過去の自分に囚われているという共通点がある。
友人、家族……理由は様々あれど、決定してしまった過去、覆すことのできない過去を忘れられないまま、前に歩みだせないでいる。
中でもそのうちの一人は、名取さなを知っている人からすれば、心に刺さるものがあるのではないかと、そう考える。
そんな少女たちが過去と向き合って、未来の可能性をつかみ取る物語だ。

作中、登場人物の一人が「星めぐりの歌」を口ずさむ場面がある。
作詞作曲はあの宮沢賢治先生であり、「銀河鉄道の夜」にも出てきた歌だ。

自分がモンダイナイトリッパーを初めて聴いたときに、銀河鉄道の夜を思い起こしたことは過去の記事でも述べさせて頂いた。

私たちが夜に見上げる星々の光は、全て過去の光だ。
放課後のプレアデスでも、銀河鉄道の夜でも、過去は、過去なのだ。
起きてしまったことを、自分の置かれた状況を、都合のいいように変えてしまうことはできない。
それでも、過去を受け入れて、今できる最善を尽くし、名取さなの言葉を借りるなら……丁寧に生きていくことで、未来までもが不幸であることは、ノットイコールのはずだ。

そう伝えてくれた放課後のプレアデスという作品が。
そして鹿乃さんの歌う「Stella-rium」の歌詞が、どうしても自分には、名取に重なって見えたのだ。



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ここからは、モンダイナイトリッパーに話を戻します。
前回の記事と同様に、名取さなの考察要素に多く触れますので、そういったことを受け入れられる方のみ読み進めて頂きますようお願い致します。
また、どちらかというと情緒寄りの内容で、「この気持ちはここに繋がる」程度の感想がメインです。




モンダイナイトリッパーにて、最終列車が向かう先はどこなのだろうと考えていたとき、やはり自分の中で納得のできる場所は真っ白の客室から運ばれる銀河の隅……「遠くの病室(ソラ)」、である惑星ループという気持ちが大きかったのです。

こじつけではあるので、本来の意図とは異なっているでしょうが、トラベル計画316の数字にまつわるものを考えているうちに見つけた惑星ループの再生時間もまた、316だったのです(再生をすると3分15秒です)。

モンダイナイトリッパーを始発として、終着駅である惑星ループに至るまで銀河鉄道の夜を走り抜けていく。
となると、惑星ループを作詞作曲されたナユタン星人さんが作られた曲で、ひとつ。


銀河電燈の歌詞は……どことなく名取さなと「わたし」の二人にかかっているように、今は読みたくなってしまいます。

かつて、マインクラフト配信で名取さなは、「わたしも一生いるわけではない。いつかせんせえがサナトリウムを見て名取を思い出したら……自分の大好きなインターネットになれたという感じがする」、というニュアンスの発言をしていました。
あの時の名取さなの望みが、今もずっと続いているのかどうかはわかりません。
ですが、名取さなの一瞬一瞬を心の中で永遠にできるのは、せんせえ方一人一人であることは間違いないのでしょう。


(45分頃からです)


色んな旅の思い出を映し出した銀河電燈を持って、いつか名取さなは、かつての「わたし」へと辿り着く。


旅の終わり。
「わたし」は遠くの病室でまた、「逢いたいなあ」と一人で、思い出とともにループし続けるのでしょうか。

夢の先、真っ白の先は、本当にこれで終わりなのでしょうか。




sasakure.UKさん。
いえ、ささくれPが惑星を歌う曲が、あります。


名取さなの最終列車はやがて「わたし」へと辿り着くかもしれません。
ですが、「わたし」の最終列車は、まだ来ないのだと信じたいのです。

スマイルとアラームで「オハヨー」と打ち鳴らされた心臓が、まだまだ鳴り止まないと信じていたいのです。


過去は変えられない。
名取さなも、いつか誰かの過去になるかもしれない。

でも、せめて少なくとも名取さなは、「わたし」にとっての救いであってほしい。
「わたし」の未来を照らす星であってほしいと、そう願うのです。


そしていつか「わたし」が目覚めて歩き出したときは、できることなら、ナユタン星人さんのこの曲を聴いていたいなあと、そう思うのです。