見出し画像

【さなのばくたん。】終末時計のカムパネルラ(後編)【ハロー・マイ・バースデイ】

前編


この記事はさなのばくたん。ハロー・マイ・バースデイの内容のネタバレを大いに含みます。
もしこの記事に辿り着いた方がまだアーカイブ期間内であるなら、本編を見ていない場合、どうか本編を視聴して読み進めて頂きたく存じます。

本文は名取さなの積み上げてきた5年間に個人的な解釈を踏まえて読み込む内容となります。








息を呑んだ。

だって、これは、その姿は。


喉元にぬるり、と蛇が巻き付いたような感覚。
目の前にあるものが理解はできても、受け止められない。

――この身体の3Dってあるんだ。
なんて、わけのわからない冷静ぶった思考が頭の中を巡る。


『わたしはナースではないんです』
まるで今までの名取さなの全てを否定するような一言だった。

『憧れ、なんです』

『……何年もみんなを騙していました』

『だから、わたしはここに居る資格がないんです』

『これは違くて!』

『いや、違くはないんだけど…………ずっと、思ってたことだけど……』

名取さなが、名取■奈の話を、自覚したまま私たちに届けている。

『でも……』

言葉を濁した名取に、言葉を失っている私たちに、響いてくる言葉がある。

「なーんだ! 簡単なことだったんだな!!」
「みんながいてくれて、楽しく過ごせてることが大事」
「人と比べることが……すべてじゃない!」

それは今日、さなのばくたん。で違う世界線にいた名取たちの声だった。
お悩み解決、というのは、冒頭にあったように、名取さなと名取■奈が向き合うためのものだったのだ。

『自分も一緒に楽しめてる……そのことを大事にしたい』


『本当のナースかどうかは、今は大事じゃない気がする……』


『なりたかったわたしになれるよう……名取は頑張りたい』


わたしの
なりたかった
わたし

いま自分が聞いているのは名取■奈の、言葉なのか?

『だから今日ここで、せんせえたちの前で。……私の悩みと向き合う……新しい約束をさせてください!』



凛とした声だったと思う。
強い決意を感じるような。
怖いという思いを抱えたまま、それでも前に進むという勇気を示すような。





鐘の音を鳴らすような、綺麗な音だった。
名取■奈が、歌っていた。

「ゆびきりをつたえて」


光の向こうに踊っている。
軽やかなステップではないかもしれない。
けど、彼女の足で。ちゃんと。


名取さなの持っているうさちゃんせんせえは、母親から送られたもの……だったと思う。

けれど、両親はいない。とツイッターで言っていたはずだ。

それでも、名取にとって確かに残る何かだったのではないかと、そう思う。


2020年に名取さなを知って。
配信やアーカイブなどを追うようになってすぐのことだった。


彼女は、泣きながら、でも確かに扉を開けたんだった。
あの時も、窓の外がよく見えていた気がする。



ずっと。

覚悟はしているつもりだった。
過去に名取が言っていたように、名取さなは永遠ではない。
いつかいなくなる日が来ると。

だとしても自分のやるべきことは変わらないし、名取さなの進む先をあるがままに受け入れようと思っていた。

それでも、やっぱり目の当たりにすると、ダメだった。
寂しいし、辛い。
それは間違いない。

振り返ると、このばくたん。はずっとそのためにあった。

「汝の願いを叶えたくば、まず汝と向き合うべし」

王も、キョンシーも、制服さんも。
ずっとずっと、名取さなの抱えていた悩みだった。

「全部ホントで、全部ウソ」
というのも、名取さながせんせえたちを騙しているという自覚の上で、歌われたものだったのだ。










バーチャルYoutuberとは、言葉を選ばずに言うと、時限爆弾のようなものだと思う。

生まれた瞬間からカウントダウンが始まっていて、その時が来れば跡形もなくなる。
もしくは、終末時計。
どのきっかけで針が進むかはわからないけれど、確実に、いつかその動きを止めるもの。

まるで心臓の音のように。

ひとたび止まればその人の名前を呼ぶことができなくなるのだ。

名取さなにおいて、名取■奈の物語が、終末時計の針だと思っていた。
長針と短針。名取さなと名取■奈がぴったり重なるときは、すべてが終わるときだと思っていた。


何故なら、私たちから見ることのできる名取さなにとって、常に名取■奈はアンタッチャブルな存在で、「どちらの存在が本当なのか」わからなかったから。


けど違った。

名取さなは、名取■奈だった。
名取■奈は、名取さなだった。


昨年、こんな記事を書いた。

気持ちのままに書き殴ったタイトルが強すぎたからか、多くの人に読んでいただいたように思う。

この記事には書かなかったけれど、銀河鉄道の夜に関して、一つの逸話がある。

銀河鉄道の夜の主人公、ジョバンニ。
その親友、カムパネルラ。

この二人の名は、「同一人物から」取られている。
というものだ。

ジョバン・ドメーニコ・カンパネッラ。
ジョバンニは、もう一人の自分であるカムパネルラと、旅をしていたのだ。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう」
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう」

銀河鉄道の夜にて、二人の最後の会話だ。
答えてくれる人は、誰もいない。

目が覚めると、ジョバンニはカムパネルラを失っていたのだから。



けれど。
身を引き裂かれるような思いをしたジョバンニの未来を。

一体、誰が不幸になるのだと決めつけられるのでしょう。

運命だって変えられると歌った。

可能性が本当になると歌った。

わたしが、無限大になると歌った。

意識をされたのかはわからないけど、このときの名取の発言の流れが、まるで、あの時できなかった日の再誕のようで。

たとえ全てがウソでも、名取■奈は名取さなを本当にしてここまで来たんだ。



『人に迷惑をかけないように生きていきたいです』


逃げたいときも、立ち止まる日もきっとある。
だとしても、名取が探し続けたほんとうのさいわいは、きっとそこに――



ゆびきりをつたえて。
制作をされたbermei.inazawaさんのスタジオ名は「campanella」。



終末時計などではなかった。

物語が進んでも、未来を開いていくと歌ってくれた。


カムパネルラは、生き続けるのだ。









名取さなと、名取■奈に心からの敬意と親愛を。
お誕生日、おめでとう。