トーテムと「私たち」を学んでみた(儀礼研究第1回)【しょぼいレポート】
はじめに
本記事は2020年5月、プロ奢ラレヤーのサロン「プロ奢サロン」で行われた儀礼研究(課題図書の読み合わせ)でさぼっち個人が知った内容を整理するために書いたレポートもどきです。
第1回では儀礼にまつわるキーワードを整理しました。(詳細はオフレコのため割愛。参考のエントリはこちら)
やったこと
・儀礼研の趣旨の共有
・キーワードの洗い出し
・儀礼の意味の整理
儀礼研の趣旨
儀礼研の趣旨は、社会で謎の習慣や非合理的な行為が蔓延っている理由と、その行為にとる人間に及んでいる影響について理解して、有効に利用してみよう!というものです。「宗教生活の基本形態」を課題図書にしながら研究を進めていくのですが、僕自身はこれをほとんど読んでいません。
他のサロンメンバーが話していた内容や共有いただいた資料をインプットに、採取的には僕の身近にはある儀礼について、考えをアウトプットしようと思います。
キーワード
・儀礼:「宗教的な儀式や、一定の法にのっとった礼式」を指す。
日常生活の中の言語や通常の技術的道具などでは表し伝えられない、集団の連帯や、結婚・死といった重大なる事件を明確に表現し、心に強く刻みこむ働きを持つ(Wikipediaより)
→人間の心理に強く印象づける作用を持った、特別な手順・取り決めによって実行される行為
・トーテム:家族、部族、民族の標章として機能する具象物。動物や植物~ある血縁集団や個人に互いに影響しあうと考えられ、当該集団や個人の標章又は象徴として機能するもの。(Wikipediaより)
→集団となった人間たちにとって、集団単位で信じている物事を象徴する概念や実体
儀礼研第1回のまとめ
やり取りされた内容を整理してみると、こんな感じになりました。
・人間は特定のモノや個人、価値観を信仰するようになると、意識の中で「(特有のものを信仰している)私たち」と「それ以外」という区別がなされる。「私たち」に所属している人間たちは、自分たちの信仰が維持されていることを確認するために、「私たち」と「それ以外」の輪郭を確認する行為を儀礼と呼ぶらしい。
・同じトーテムを信仰する集団がより連帯感を強めるための過程として、「私たち」というカテゴリに含まれている他者が犠牲になることが有効である。同じ対象を信仰する人間の中でさらなる線引きを行うことで、集団の中により強い連帯感が発生する。
・日常的な儀礼を例にあげるとすると、挨拶がメジャーである。「私は周りの人に配慮できる、する姿勢がある人間です。あなた方の配慮を理解し、歩み寄る人間です」という意思表示を、返答によって確認している。もっと言えば、「私たち」は挨拶を筆頭とした他人への配慮ができる存在として、挨拶をしない人間と線引きを行っていると言える。
おしまい。
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