ウズベキスタンに行く

いや、そのまんまなんだけど、ウズベキスタンに行く。推しの人生の節目で居ても立っても居られなくて突発的にnoteを始めたけれど、それ以外は何も投稿をしてなかったから、なんか書くか…と思いながら早数ヶ月経ってしまった。大体私は気分屋だから書きたくない事は書けない。いや、推しが大変なことになったけど、それについて書く気にならなかった。理由は割と早くに私の中で片が付いたからだ。私が文章を書く時は頭の整理の部分もあるので、もう分かりきったことをわざわざ書く気にならなかったし、オタクとその他とアンチと…色々な立場で意見が変わりすぎる出来事を多角的に見るのは疲れるから考えたくないんだと思う。だから推しの休止について書くことは気が向かない限りは無い。ということで、今一番私の心をウキウキさせているウズベキスタンについて書く事にした。

ウズベキスタンに行く。
何故ウズベキスタンかというと誘われたからだ。そんな理由なので、言われるまでウズベキスタンがどんな所だとか知らなかった。というか、スタン系=ヤバい所かもしれないとかいう偏見もちょっとあった。でも紹介された画像にはめちゃめちゃ綺麗な青いタイルのモスクや街並みが写っていて。さらに漫画の乙嫁語りを読んでいた私は装飾された丸パン(ノン)を見て主人公たちが作ってたやつじゃん!!や〜〜〜だ〜〜〜い〜〜〜く〜〜〜っと二つ返事で行くことにした。そもそも就職先でさえ通りすがりの教授に行くかと言われて2分くらいで決めた人間だ。好きな旅行という事においても、人からの誘いを基本的に断らない。よっぽどその国が私を嫌いじゃない限り私はOKを出すだろうと思う。知らない事を知るのが好きなのだ。写真で見るより実物を見たいのだ。そんな中で色々考えて、物事に納得するのが好きなのだ。だから旅行が好きだしライブが好きだしエンターテイメントが好きだ。何かを感じて人が作り出した物はその人のフィルターを通している。だから厳密にはそれそのものではない。だから自分で納得する為には自分で見るしかない。知っていると納得するは違うから圧倒的に私は生で見て感じたものを残したい。自分の中に辞書を作るような物だ。「そんなもの」の形をハッキリさせておきたい。輪郭が明確で線が濃いほうが切り取りやすいし、説明がしやすいし、材料として使いやすい。だから私は常に納得するまで考えている。困った事に、私はこの納得するというところまで考えきるとそれがどんなにうまい表現でも、美しい言葉でも「あーこういう感じね」と思ったそばからそれを忘れるというオマケがあったりするが、それでも「へーこれはこういうものなのね」と考えるのは楽しい。

残すって難しいなと思う。その時の感動をそっくりそのままどうにかして残したいのに、大体残るのはそうだったという事実の記憶と、キレイだなと思う画像であって、衝撃や感動やその他はいつもなんとなくしか残らない。まあ、たまにふと町中の匂いとかを嗅いで、あ!今の匂いシンガポールの汚ねぇ市場だ!わ〜あそこ臭かったなぁ…とか思い出すことはあるけれども。だから、忘れない為に暇があったら文章にしてみるつもりだ。これからトランジットもあるし、時間はいっぱいあるので、思った事を気の向くままに書いていこうと思う。(とか言いながら書かない可能性は大いにある)


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